しかしそうは言っても、良い音楽というのは大して宣伝もしなくとも広がってゆくものです。
90年代の初め頃になると、いつのまにか日本でも芙苑晶のファンクラブが誕生し、 (当時はメールとかウェブなんてものも普及していませんでしたので)おもにそのファンクラブ会報
を媒介として、芙苑ファンたちの交流が始まりました。言うまでもなく、僕もそこにすぐに入りました。
それまでほとんど活動の実体すらよくわからなかったアーティストの実像が、ここでいくらか像を結び始めました。
すると・・・またまた違う意味でファンになった人も多かったようです。作曲家としての天才的な才能、シンセサイザー奏者としての卓抜したサウンドセンス、そして何よりもすばらしく完成度の高いアルバム・・・といった、アーティストとしての傑出した才能表現だけでも驚くべきですが、それらに加え、ごくたまに出るこの人のインタビューなんかを読むと、芙苑晶という人本人自体が、実にユニークな、魅力的な人物のようなのです。
それに(これはややミーハー的ですが)、彼のルックスもまたユニークでした。時たま掘り出し物のように出てくる写真(そもそもプロモ用には写真を撮らなかったらしく、これも当時は、ほとんどありませんでした)当時ですら二昔前のヒッピーのようなインパクトのあるその姿に、カッコイイとか悪いを超えた神秘的な魅力がありました。
腰まで伸ばした凄まじい長髪。無精ヒゲ(は、無い時もありましたが)にボロボロの服。爪にネイルアート(なんてまだ無かった頃の話)、ジャニス・ジョプリンみたいなデカいマルのサングラス。ズタズタに切り裂いたジーンズに、下は裸足です。
ミュージシャンはみな、ファッションによっても自己表現するものですが、芙苑晶はこの点でも例外的に異色な存在感がありました。
つまり、「ヒッピー風のファッションをしているミュージシャン」は、それまでにもいたし、もちろん今でもいます。
しかし芙苑晶の場合は、「ヒッピー風のファッション」なのではなくて、「ヒッピーが音楽をやっている」という感じが、そのボケたモノクロ写真から伝わってくるのです。
そのことは僕の直感にすぎなかったのですが、しばらくして、そのファンクラブ会報に出たインタビューが、僕の直感が当たっていたことを照明してくれました。
またいずれ芙苑晶のバイオグラフィを僕なりに書く時に、当時の資料をもとに詳しく説明していきたいと思いますが、ザッと言うと、彼は本物のヒッピーなのです。積極的に労働を拒否し、ユートピア思想を訴えるという活動をすでに早くから、音楽活動のかたわらおこなっていました。
そんなこんなで、まだ20代の若者だとは信じられないほどの成熟した、あらゆる面での「天才」ぶりに、ふだんは「音楽さえよければいい。ミュージシャンのファッションや思想なんてどうでもいい」と思っていた音楽マニアの僕も、芙苑晶という人自体の熱烈なファンになっていたのでした。
(つづく) |