芙苑晶・幻のライヴ( 1996 )
 

 芙苑晶は基本的に、ほとんどコンサートをやらないアーティストだ。

 彼のごく初期にやっていたバンド活動、アメリカの幻覚植物研究所、「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット、もしくは LSD 解放同盟」などでのアンダーグラウンドのレイヴ・パーティを除くと、ソロ・アーティストとしてはライブはたった1回しか行なっていない( 2007 年 3 月現在)。

 それも、今となっては信じがたいような話だけど、そのたった1回きりのライブは、日本で、しかも野外でライヴがおこなわれたのだ。 1996 年の 10 月 14 日だったと思う。

 今日は、その時の記憶をもとに、芙苑晶・幻のライヴを思い出して書いてみたいと思います。

 
ライヴ当日
 

 古くから芙苑晶のファンだった僕は、その情報を早くキャッチでき、幸運にもそのライヴを見ることができた。

 会場は・・・これは何と言っていいのかわからない場所だ。京都の北のほうだが、野外で、廃墟のドームみたいな建築物がある野外広場である。

 まわりには、ただ畑とか、公共施設みたいな建物とかが見えるぐらいで、あとは何もないド田舎だった。

 電車とバスを乗り継いで行かないと行けないような、ずいぶんへんぴな場所で、あまりに変な会場だったので、こんな場所でいったい、何するんだろう・・・大丈夫かいな? と半ば呆れ、半ば不安になってきた。

 

 その会場の雰囲気を、言葉でなんと表現していいのかわからない。

 昔、ピンク・フロイドの映画で「ライブ・アット・ポンペイ」というビデオがあったが、あの雰囲気にやや似ている、と言えば近いだろうか。

 ふつうのポップスのコンサートだったら、まず絶対にやらないだろうと思うような、とにかく変な空間なのだ。

 パンフレットを読んで、やっと主旨が理解できたが、取り壊しかけて放置されている廃墟の建物を利用しての半野外ライヴということだった。

 

 あとになって芙苑晶が、インタビューでそのライヴについて

「ライヴをもしやるなら、廃墟でやってみたいというのは、前から話していたんです。ふつうの会場でやるのはつまらないと思っていた」

「日本を選んだのは、べつに他の国でもよかったんだけど、日本は法規制が厳しいから、そこにチャレンジしてみたい気持ちがあったから」

 と語っているのを見て、なにかこの人らしい風変わりなスタイルで、なにか、いいな・・・と思ったのを覚えている。

 

 今思うと、あの時妙に不安になったのは、僕が一人だけ早く来すぎてしまったせいもあったのではと思う。

 腕時計を見るとすでに夕暮れの5時近い。ぽつりぽつりと人が集まってくる。

 そんな中で、廃墟のドームのほうにはすでに、照明や音響係が準備をしていた。 PA が時々チェックする音が聞こえ、夕暮れの光の中で、廃墟がだんだん、幻想的な空間に変わってきた。僕はだんだん胸がドキドキしてきた。さっきまでの不安とは逆の、爆発しそうな期待がこみ上げてくる。

 言ってみれば、「ファー・イースト」がよくやっていた、野外のアンダーグラウンド・レイヴのスタイルを、豪華にしたような雰囲気だ。

 あとで家で独りで聴くだけならいいだろうと思い、携帯型のテレコを鞄にしのばせていったが、入場の時にボディチェックがあり、これは手荷物として預けられてしまった。

 (だが、持っていったメモ用紙に、曲名はしっかり書いていたので、以下、演奏された曲名をちゃんと書いているのは、そのメモのお陰です)

 

 会場に人が集まってくる。気がつくと、だだっ広い野原は、いつしか人でいっぱいになっていた。みんな、思い思いのスタイルで、地べたに座り、お菓子を食べたりしている。なんだか戦時中の疎開(って僕は知ってるわけではないが、イメージとして)みたいじゃないか? 根が小心者の僕は、ますます情けなくなってきた。

 どんな人が来ているんだろう?

 暗くて顔までよく見えないが、見てみると、やっぱり若い人が多いみたいだ。いろんな人がいる。ごくふつうのサラリーマン風の真面目そうな、平凡な顔の人もいる。文学少女風な、おとなしそうな(でも真っ黒な服を着て髪の長い、スレンダーな)女の子が僕の隣に座って、文庫本を読んでいる。かと思うと、眼鏡にヒゲ、白髪の、芸術家風のおじいさんみたいな人もいる。こんな人たちも、みんな芙苑晶のファンなんだろうか?

 タイプはいろいろだが、全体になんとなく、みんな芙苑晶のヒッピー・ライフスタイルにどこか似たような、フリークな感じが漂っている。ファッションが地味か派手かは問わず、人間的に個性的な人が多いような印象を受けた。

 もろにヒッピー風の人も何人か見かけた。長髪にヒゲを生やしてタイダイのシャツを着た人。その回りにいる人はみんなマリファナ(?)を回しているようだ。でも誰も気にしていない。

 

 いつ始まるのだろう? 開演は7時と書いてあるが、もうとっくにそんな時間はすぎていた。

 じれてきた頃、会場がかすかにどよめいて、顔を上げると、ステージの背景=廃墟のドームの壁に映し出された映像がある。

 すると、いきなりビクッとしてしまうぐらいの「ドーン」という大音響。シンセサイザー(MOOG ?)で作った雷の音が会場中に響き渡る。鳥の声や海のざわめきをコラージュしたようなノイズの嵐がつづく。スモークがたかれ、いきなりレーザー光線が飛びかいはじめた。

 ステージの端から中央に向かって歩いてくる影がある。芙苑晶だ。拍手が起き、声が飛びかい始めた。

 ステージに照明が落ちると、芙苑晶は、あの腰まである長髪にサングラスをかけ、黒い長袖のシャツ、ジーンズ、裸足というスタイルで、キーボードの前に立っていた。

 

 しばらくサイケデリックなアンビエント・サウンドが続いたあと、芙苑晶がキーボードを弾き始めると、いきなりパイプオルガンの音が響いた。
 サンプリングしたもののようだが、やけにリアルで、会場の幻想的な雰囲気とあいまって、どこか異国の廃墟の大聖堂に迷い込んだような錯覚をおぼえる。僕は顔が熱くなってきた。

 

 ステージには、芙苑晶のほかに、合計 10 人ぐらいのミュージシャンが散らばって立っている。日本人らしきミュージシャンに混じって、ヒゲを生やした外国人が半分くらいいたように思う。日本人のミュージシャンの中には、「ファー・イースト」のレイヴでゲスト出演していて見覚えのある顔もあった。

 そのうち、ほとんどはキーボードとシンセを担当している。あとは、ターンテーブルを回す DJ 、シンセのオペレーター、ギタリスト、チェロ奏者、ドラマー、それにバックコーラスの女の人が3人ほどという構成だった。

 

 びっくりしたのは、何台ものキーボードがある、その背後に、ものすごい量の機材が背後に積み上げられていたことだ。アルバム・ジャケットに映っていた初期のいかついシンセサイザーが多かったようだ。あの機材を全部ほんとに使っているのだろうか? だとしたらすごい、と、妙なところに感心してしまったが、あとあと見ていたが、みんなほんとうに使っていた。

 

 つづいて、外国人のミュージシャンが操る Roland の壁のような巨大シンセ(たぶんシステム 700 か 100 M ? 見覚えがあった)からバキバキいうサイケデリック・トランスのビート。さらに、 DJ が操作するリズムマシンの音で、会場はどよめいた。4つ打ちのキックが始まり、背後のドラマーがそれに合わせて激しくビートを刻む。

 お、これは聴いたことがある! とうれしくなった。当時の最新アルバム(4th)『伽藍( Cathedral )』から、「 Cathedral 1 」だ。

 アルバムではもっと長ったらしい 10 分以上ぐらいのイントロがあって、それからようやくパイプオルガン+テクノビートのパートになっていたと思うが、いきなり途中から始まり、トランスのライヴになったような感じだ。やはりコンサートだから、ノリのよい曲を先に持ってきたのかもしれない。

 アンサンブルはシンセが大半を占めているが、ドラムやチェロが入っていたり、生ということもあるのか、アルバムとは違った荒れ狂うような荒々しい、迫力のあるサウンドだ。

 

 芙苑晶のアルバムを聴いた時、この人はいったいどんなライヴをやるのだろう? そもそもライヴなんか可能なのだろうか? と思った記憶がある。

 この日、会場に来る道すがら、僕が想像していたのは、もっとクールに淡々と演奏する芙苑晶の姿だったが、予想を裏切って、アンプのヴォリュームはガンガンで、ハードロックのコンサート並みの迫力のある演奏だった。

 芙苑晶も、足でリズムを取り、体を動かし、長い髪を振り乱して演奏している。意外にハードなライヴと思った人も多かったらしく、みんな興奮しているようだ。

 「ファー・イースト」のレイヴを覚えていたので、みんな最初から踊るのかなと思っていたが、そうはならなかった。だが、途中でチラチラと、勝手に立ち上がって踊っているヒッピー風な若者たちも見える。

 「ファー・イースト」のレイヴが「みんな踊りまくる」だとすると、芙苑晶のライヴは、「みんなそれぞれ好き勝手」という感じだった。

 

 といっても、それは第一印象で、ただ演奏がハードなだけではなく、アルバムのあの複雑で壮大なトランス・シンフォニーと言えるようなアンサンブルが、見事に手弾きで再現されているのには驚いた。当たり前かもしれないが、みんなものすごく演奏がうまいな、という印象だった。

 テクノやトランス系のミュージシャンや DJ がクラブで演奏するのは、 CD をほとんどそのままプレイバックしているケースすら見られる。クラブでの演奏はまだいいとしても、テクノのコンサートがつまらないのは、「演奏」がないせいだと思う。そんなもん俺でもできるぞ! ・・・と、つい言いたくなってしまうのだ。

 では、いわゆる「シンセ・アーティスト」系の人はどうか?
  ずっと昔だが、ジャン・ミッシェル・ジャールがフランスのエッフェル塔の前でライヴをやったのを、衛星の TV で見たことがあった。これも、オーディオビジュアルを駆使した迫力のあるライヴだったが、残念だったのは、どうも演奏が、演奏と言うよりもたんに DAT をプレイバックしているのでは?と思った箇所があまりに多くて、臨場感に欠けたことだ。まだ僕が子供の頃、TVでやっていた、富田勲のサウンドクラウドのコンサートなどにも、やはり、同じようなことを感じた。

 その点では、ジュノ・リアクターのトランスのライブなんかのほうが僕は楽しめた。芙苑晶のライヴは、ジャン・ミッシェル・ジャールよりは、ジュノ・リアクターの感じに近いと思った。そこが凄くよかった。ハードロックとか、トランスのコンサートに近い印象だ。

 同じシンセサイザー奏者たちのライヴの中でも、芙苑晶のライヴはもっとハードロックのコンサートに近いイメージと僕が言ったのは、そういう意味である。芙苑晶のバンドは、シークェンサーのパート以外はみんな手弾きでちゃんと演奏していた。というのは、このあとも、曲の途中で、「あ、トチったな」(笑)とわかる部分が時々あったからだ。 (と言っても、ちょっとしたミスで、基本的にはすごく上手いのだが)

 どちらがいいかは、人の好みにもよるかもしれない。完璧をとるか、少々トチることがあっても生の良さをとるか。しかし僕個人は、芙苑晶のライヴのほうが圧倒的によかった。臨場感があるし、胸に迫るものがあるからだ。

 これを見て僕は、「やはりミュージシャンは生で演奏すべきだ!」と強く印象づけられたものだった。

 

 つづいて演奏されたのは、『伽藍( Cathedral )』組曲だった。だが、興奮していたので、どの順番で演奏されたのかは、ほとんど雑なメモしかない(バカだネー)。

(以降に記した、順番や曲目なども、その通りであるかどうかは確信がない。だいたい合っているとは思うが、間違っているかも知れない)

 しかし、アルバム『伽藍( Cathedral )』からの選曲がメインだったのは、はっきり覚えている。

 なので、ライヴの前半は、割とトランス的なテクノ・ビートが中心になっていたようだ。

 

 次に、ステージは暗転し、自然音、環境音をイメージさせる SE が続く中、『木霊( Echoes )』からの曲が始まった。
 背景のスクリーンには、大自然の風景がビデオ・シンセサイザーで加工された幻想的な映像が現れて、すごく曲と合っている。

 トランス風から一転して、壮大なアンビエント風のサウンドになった。ダウンテンポだが、アルバムで聞くより迫力がある。リズムもトランスまたはハウスっぽくアレンジされていた。言ってみれば、トランスのコンサートで言う、チルアウト・タイムみたいな印象だった。

 

芙苑晶からの短い MC がここで初めてあった。

「こんばんは …… 。今日は、星がはっきり出てるよね。」

 といきなり言ったので、みんながドッと湧いて、大きな拍手をした。

「ソロでやるコンサートは、これが生まれて初めてです。」

 と言ったが、その割に全然、堂々としていて、余裕がある感じに見えた・・・。
(「ファー・イースト」などでさんざんライヴをやってきていたせいもあるかもしれない。)

 続いて、なんと、ゲストが現れた。

「僕が日本でずっとやっている、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットというバンドで、サックスを吹いている市川カヲルが、バンドではこの曲を演奏していたんですが・・・、市川カヲルは去年、惜しくも若くして亡くなってしまいました。

 ほんとはカヲルに演奏して欲しかったんだけどね、
 それで今日は、代わりのゲストを招きました。ジェフリー・(なんとかと芙苑晶は言ったが、僕が名前を忘れてしまった)です」

 場内から歓声が飛ぶ中、外国人のヒゲを生やした男性が登場した。
 演奏されたのは、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの「 Ibiza Breakfast (イビザで朝食を)」である。トランス・ハウスのビートに乗って、ちょっとジャズ風のメロウな旋律が宙をさまよう。

 

 サックス奏者のジェフリーが手を振って去ると、続いてさらにまた、ゲストがあった。

 サイケ調に変化する照明の中、トランスのビートが鳴りだした。
 すると、今度はステージではなく、客席の中から、ヒッピーみたいな奇抜なファッションをしたロングヘアーのセクシーな女の子が、長い髪を風になびかせて、いきなりステージに飛び出した。

 で、この時、芙苑晶の3 rd アルバム『荒廃( Ruins )』の中から、シングル曲「 Ruins 2 」が演奏されたのだが、
このダンサーの女の子が、何も言わずにいきなり、トランスのビートに合わせて、カッコよくダンスを始めた。

(これはたぶん、演出だったのだろう)

 うまく口で言えないが、ステージ衣装もオシャレだった。ちょっと古くさいインディアン・ルックというのだろうか? 頭にヒッピーのヘッドバンドを巻いて、インディアン風の民族衣装みたいなやつを着て、ミニスカートを穿いている。

 あれ? どこかで見たことが? と、じっと目をこらしていたら、やっと気づいた。同じく、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットのダンサー、田嶋エリサだった。彼女は紹介も何もなく、いきなりステージに飛び出したので、わからなかったのだ。

 その間じゅう、芙苑晶はずっと黙々とキーボードを弾いているわけだが、ステージ中央に立っているのは田嶋エリサで、この曲では彼女が主役のようになって、彼女のダンスにみんな見ほれていた。客の半分以上ぐらいが踊り出している。 (踊っていたのは、実は「ファー・イースト」のファンが多かったのかもしれない)

 僕も、まさか彼女がライヴに出てくるとは思いもしなかったので、思わず見入ってしまった。

 ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの野外レイヴは行ったことがあったが、これはまた雰囲気が違う。「ファー・イースト」のレイヴでは、ステージと客席の区別がなくて地続きだったので、もっと身近な感じがあったが、やはりステージに立っているので、スターという感じがする。

 プロだから当たり前とは言え、あらためて「彼女はやっぱりダンスうまいなー」と感心して見守っていた。体がまるで勝手にクルクル動いているように見える。

 で、この曲が終わった時、歓声や口笛が一番激しかったように思った。

 

 曲は終わったが、テクノのビート(打ち込みドラム)だけがずーっと続いている。

 芙苑晶のライヴのはずが、彼女がマイクを握り、いきなり客に叫んだ。

「みんな、トランスしてっかー???」

 すごい大声で、場内の雰囲気がとたんに明るくなった。客が興奮して「オーイェー」と叫び、田嶋エリサの名前を連呼する。とたんに、ロック・コンサートみたいな雰囲気がますます出てきた。

 それから、田嶋エリサは、汗ぐっしょりの額を拭きながら、ふつうの声で言った。

「あのー、「ファー・イースト」のライブじゃないんでー、遠慮してる人いるかもしれないんだけどさあ …… 」

 この一言で、会場がドッと沸く。

「遠慮してないでみんな踊ったらー?」

 と言われて、なんだか癒されたように、みんなほっこりした雰囲気になった。前半は音楽に聴き入って、芙苑晶バンドの演奏の凄さにうっとりしていたが、ちょっとブレイクタイムっぽくなったのだ。

「って私が言うのはおこまがしいんだけどー(笑)、じゃあ今日のライブの主役の、シンセの大先生に聞いてみましょうね。」

(会場が笑う。田嶋エリサ、芙苑晶にマイクを持って近づいて行く)

「みんな踊ってもいいよねー?」

 芙苑晶は、この質問には何も答えずに(ちょっとニヤッと笑ったように見えた)、ただうなずいて、指で OK サインを出した。

 

 そして次は『荒廃( Ruins )』の中から「 Ruins 3 」「 Ruins 4 」「Ruins 5」が続けてメドレーで演奏される。いずれもアップテンポの激しいトランス・ハウス風の曲だが、ライブ用にアレンジが変更され、ほとんどクラブ・ミュージックのようにノリの良いサウンドになっていた。

 時々入る、 オーケストラ・ヒットが印象的だった。それと、オン・マイクで、チェロのソロが時々入るのが渋い。
 あと、 DJ がスクラッチをリアルタイムでいっぱい入れていたのが、サウンドが引き締まってかっこよかった。

 さらに、これらとメドレーになった、幻の 1st 『燐光( Phosphorescence )』からの曲、「 Phosphorescence 2 」(だったと思う)が長い長いアシッド・トランス・テクノとして演奏される。この間じゅう、田嶋エリサは踊り続けている。 客も全員ぐらい踊っていて、ほとんどクラブ状態だ。

 「ファー・イースト」のライヴでは服を脱いで半裸になったりしていた彼女だが、このライヴでもそれをやった。ただし、芙苑晶のライヴということがあるのか、演出はちょっと控えめだったようだ。
 田嶋エリサは、 流行りのヘソ出しキャミソールになって、安室奈美恵のような厚底ブーツに履き替えて踊っていた。
(ちょうど日本では安室奈美恵が流行っていて、意識していたのか、あるいはパロディ的な演出も知れないと思った。ダンスもちょっとそれ風だったのが意外だった。)

 この時個人的に思ったのは・・・当時(1996年)芙苑晶は田嶋エリサとすでに離婚したという話を聞いていたが、それでもまだこうやってライブにゲストで彼女が出てくるということは、友情はあるのかな? と思った。

 

 そして驚いたことに、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの曲、『十億の神経の針( A Billion Nerve Needles )』からの同じく組曲で、「 A Billion Nerve Needles 1 - 4 」が延々と演奏された。約25分ぐらいあったと思う。
 再びゲストのジェフリーが、故・市川カヲルの代わりに部分的にウィンド・シンセを吹いていた。

 「ファー・イースト」のレイヴでもやっていたことがある曲だが、アレンジをシンフォニック・テクノ風に変えていて、差別化しているように思った。

 場内はますます盛り上がる。みんな汗グッショリで踊っている。

 

 さらにまだあった。芙苑晶がいきなり「最近作ったばかりの曲です。」と言って演奏を始めた曲があった。この曲では、 イントロでDJ がターンテーブルをスクラッチして遊んでいた。

 芙苑晶は「なんとかランド」と言ったのだが、タイトルがはっきりは聞こえなかった。エレクトロ・ランドかな、と思ったのだが、これはあとで幻覚植物研究所(僕の持っているのはアメリカ盤なのでAurora Heads名義になっているが)のリミックス・アルバムに入っていたシングル曲「 Electrode Land 」だった。

  どこかYMO を思わせるテクノ・ポップ風トランスで、芙苑晶にしてはちょっと異色だが、なかなか名曲。これも、当時はアルバム未収録曲で、すごく印象に残った。

 

 そして大詰めは、芙苑晶が「今日はどうもありがとう」と言った。場内から歓声が飛ぶ。

 「最後の曲です。これは、ずっと昔に作った曲なんですが、アルバムに入れてなくて、今度のアルバムに入れる予定の曲です」

 と短く言って演奏を始めた曲が、確かにこれだけ、聞いたことない曲だった。

 再びパイプオルガンの美しい旋律が、アシッド・トランス風のサウンドに絡み始めた。

 ギタリストのマダム呪々(芙苑晶のアルバムのほとんどでギターを弾いている)が、ハードロック風のギターソロを延々と弾いていたのが印象的だった。

 オルガンをフィーチャーしていたので、最初『伽藍( Cathedral )』かな、と思ったが、聞いたことないメロディだ。

 あまりに美しい印象的なメロディだったので、このメロディが帰りのバスの中でも、翌朝目覚めた時もまだ、ずーっと鳴っていた。

 どころか、そのあと半年ぐらいずっと、あれはメッチャいい曲だ^^^ …… あの曲が次のアルバムに入るわけだ? と思っていた。

 それは何だったかと言うと、なんと! (当時で言う)次のアルバム『宇宙論( Cosmology )』(1998)に入る予定の、「 Cosmology 3 」だったのだ。

 だから二年後ぐらいに『宇宙論( Cosmology )』が発売された時、内心ドキドキしながら「どこに入っているんだろう」と思いながら聞いたのを覚えている。

 アルバムでは、文字通り3曲目に入っていたが、ライヴではタイトルを言わなかった(まだ決まっていなかったのかもしれなかった)せいもあって、「 Cosmology 2 」が終わってその次、パイプオルガンが鳴った時、「キター」と思って、チビリそうになったのを覚えている。

 

 そしてアンコールは、「 Cathedral 4 」(あるいは5か、どちらか)が演奏された。再びシンフォニック・テクノ/トランス風の4つ打ちキックが会場を震わせる。この時点になると、もうみんなほとんど総立ちになって踊っていた。

 最後の曲は、呼び出しなしでいきなり二度目のアンコール。「 Comet です」と芙苑晶は言ったが、これも次の『宇宙論( Cosmology )』に入れられる予定の曲、「 Cosmology 5 」だった。

 「 Comet 」というのは、「ファー・イースト」のファンの人なら知っているだろうが、「ファー・イースト」がアンコールで演奏していた曲で、当時は「ファー・イースト」名義になってはいたが、もちろん芙苑晶が書き下ろしたソロ曲の一つだった。

 「ファー・イースト」のライヴでは、市川カヲルがウィンド・シンセでリードを取っていたと思うが、このライヴではアレンジも変わっていて、あの「 Cosmology 5 」そのままだったのを覚えている。 リード・パートは、芙苑晶が最後に珍しくショルダー・キーボードで弾いていた。

 ということは、今思ってみると、すでにこの時点(1996年の10月)で「 Cosmology 5 」と「 Cosmology 3 」の2曲は出来ていたと言うことだろう。

 
ライヴが終わってからの感想
 

 アンコールは2曲だけだったが、もう充分というぐらい堪能出来た。

 最初はあれだけ不安に駆られたが、終わった時にはもう、ただ呆然としていた。感動、という、月並みな言葉では言いたくない、激しく熱いものが、僕の胸の中にずっとあった。よかった、よかった、よかったと、何度も何度も自分に言っていた。次にもし芙苑晶がライブをやったら、たとえヨーロッパでも見に行こう。そう思ったくらいだった。

 

 廃墟のドームでライヴをやる。これは、「ファー・イースト」のレイヴなどが元になって発展した発想であったかもしれない。だが芙苑晶のソロ・ライヴは、もっとハイテクかつ高度に組み上げられた、一種のオペラのような壮大なものだった。 これを言葉で描写できないのが残念だ。

 いずれにせよ、こんな試みは、並みのアーティストにできるものではない。

 たしかに、野外のライブはおこなわれている。日本では恒例の富士ロックなどが有名だが、そういった商業主義の創り出すイベントとは一線を画した、孤高の美があった。

 

 観客は、わからないが、数百人程度(たぶんだが、300 - 400人前後ぐらいか・・・?)だったかもしれない。でも、もっと大きい規模でやっても、全然絵になっただろう。そう思えるような、迫力があった。

 帰る人を見ていると、僕と同じ、音楽を聴いて、踊って、興奮しているらしくて、顔が赤くなって汗をかいている人がすごく多い。

 夜なのに、まるでみんなでマラソンでもしたみたいで、妙な感じだったが、僕もその夜、興奮して朝まで眠れなかった。

 で、眠れないので、思いきって起きて、この日のライブの記録と感想を残しておくことにした。

  …… というわけで、このライブレポートは、その日のメモを元に書いたものです。

 

書きながら、偶然にも今月で、あのライヴからまる11年が経ったことに気づいた。

あの日、「もし芙苑晶がライブを次にやったら …… 」と思ったのだが、それ以後、2006年現在に至るまで、芙苑晶は一度もソロのライブはやっていない。日本のみならず、海外でもソロ・ライブはやっていないようだ。
あのアルバムの凝ったサウンドを再現するのが大変なのかもしれないが、しかしそれだけに、今度ライヴが実現したら、さらにスケールアップして、凄いことをやってくれるのではないかと、秘かに期待しているのは、僕だけではないだろう。少なくとも、あのライヴに来た人のほとんどは、そう思ったのではないだろうか、と思う。
それくらい、エキサイティングなコンサートだった・・・。

2005年に芙苑晶が来日した時、彼がダモ鈴木のジャパン・ツアーのゲストで出た時もわざわざ見に行って、それはそれですごく良かったのだが、やはり芙苑晶はキーボードでゲストとして参加しているだけなので、あの96年のソロ・ライブの興奮はなかった。

だから僕は、すごくレアで貴重なライブを見に行けたということになる。

今思い返してみて思うのは、あれはもしかすると、芙苑晶にとっては実験的な試みだったのではないだろうか。今度いつライブをやるのかわからないが、初期からのファンにとっては、とても印象に残る、まるで幻のような一夜だったはずだ …… 。

 

今日はこのへんで。

2006・10・21

 
 
 
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Picture : AQi Fzono's Video art "A Guide to Cosmology" (1999).
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