●このサイトとグループについて
このサイトは、1988年から96年にかけて活動した日本のテクノ/ハウス・バンド「 Far East Acid House Quartet (ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット)」およびその第二プロジェクト「淫心」のサイトです。
彼らはおもに内外のアンダーグラウンド・テクノ・シーンで活動したグループであり、当初はイリーガル・レイヴ・パーティ専門の特異なバンド「淫心」として、一部の人に熱烈な支持を受けていました。
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットとは、そのバンド名からも想像されるように、あくまでもこのイリーガル・レイヴの精神を継承した異色のバンドとして、1980年代末期に出発しました。彼らがハウスの異端児と呼ばれるのはこのためです。
とくにキーボードの芙苑晶の影響で、アルバム制作を始めるようになって以後は、メンバーたちは全員電子楽器を使うようになり、音楽的にも複雑で高度なものへ変わっていきましたが、しかしこのバンドのアイデンティティとは、あくまでもイリーガル・レイヴの精神にあったと思います。
そしてそれゆえに、92年以降、すなわちバンドの後期にはマスコミとのかかわりを断ち、コミューンを形成し、あたかも世捨て人のようなスタイルでアナーキーな活動をするという極私的な方向を選んだ彼らは、やがて世間一般にその名をほとんど知られることなく消えていきました。
●「サイトを作ろうよ」
しかし21世紀をすぎてから、一部の熱心な人々の間で「あのバンドのことを知りたい」といった要望が寄せられるようになりました。
そして元々彼らを知るスタッフであった元・バンド・マネージャーの土井昌美、彼らに詩を提供したりプロモ・ビデオなどにも出演していたヒッピー詩人の野崎ニーナ、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットに影響を受けたフォロワーとして95年に活動を開始した異色の女の子のDJ二人組・トランス・レイヴ・ドーターズ(alias=アンビエント・ドーターズ)などといった関係者たちを中心に、彼らをリアルタイムでは知らなかった若い世代のファン層(おもにネオ・ヒッピー、トラベラーなどと呼ばれる)などがどこからともなく集まり、ファンサイトを作ろうという動きが出てきました。2004年の春のことです。
●このサイトの意義はどこにあるか
すでに解散して何年も経つバンドのサイトをこうやって立ち上げることが、世間一般的な意味においてどれほどの意味を持つのか、私たちにはわかりません。ただそれは懐古趣味にすぎないのではないかと言われれば黙ってうなずく他はないのかもしれません。
しかし、ハウスやテクノという音楽が(むろんそれらが未だに、ある場所においてはコアなシーンと結びついているにせよ)大きな意味ではすでにコマーシャルなものへ吸収され骨抜きにされてしまったようにも見えなくはない現在、彼ら Far East Acid House Quartet のような真のアンダーグラウンド・グループの存在を後の世に伝えていくことは、たんに音楽史的な意味にとどまらない、もっと広い意義を持つかもしれないという気もしています。
また、このバンドの持つもう一つの顔として、イリーガル・レイヴに象徴されるアンダーグラウンド・クラブ・カルチャー、そして90年代のネオ・ヒッピー、ネオ・サイケデリック・カルチャーとの関わりといったものが挙げられるでしょう。このテーマは正直いえば、とうてい簡単なウェブサイトの中で論じきれるものではありませんし、私たちはそれをしようとも思いません。しかし、ある点でファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットとは、そういったものを象徴するバンドであったことは確かです。
彼ら自身、そういったテーマを中心に据えたアルバムを作り、音楽を作り、ステージを作り、イメージを自己演出していたし、また、それは当時の時代の匂いとマッチしてもいました。さらに、バンド解散の引き金ともなった二人のメンバーの相次ぐ「早すぎた死」が、そのイメージ(ドラッグ・オリエンテッドなバンドなのではないかというような)に輪をかけています。
●無用の伝説を超えて
こういったアーティストは、ただでさえ伝説にされやすく、本人たちの意図とは別のところでイメージだけが一人歩きしていくケースが多いことは言うまでもありません。しかし私たちはそういったジャーナリスティックな観点でのみこのバンドを語り、レッテルを貼ろうとする一部の人々のやり方には、かねてから辟易してもいます。
仮に、市川カヲルと田嶋エリサが死に至った理由がなんであれ、大事なのは、彼らはあくまでも音楽グループであり、それ以上でも以下でもないということです。
その面での芸術的評価すらまともにできない人々、はっきり言えばハウスやレイヴ文化のことなど何も知らないような人々が、しばしばことさらに感傷的な粉飾をしたストーリーを演出し、ジャーナリスティックな観点でのみ騒ぎ立てようとする傾向が、とくに我が国(そしてこのバンドの祖国であるはずの)日本においてはなぜか強く、欧米での音楽的・文化的評価のほうがしばしば的を得ているといった偏差は、言いたくはないけれども歯がゆくそして悲しいことでもあります。
それゆえに、実を言うとこのサイトを立ち上げる企画が出てきた時点で、コアなオールド・ファンたちから「反対運動」が起きたことも、ここに記しておくべきでしょう。
「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットをメジャーにしないでほしい。彼らのほんとうのファンはそれを望まないだろう。
彼らが何のためにマスコミ拒否をし続けたのかを忘れないでほしい。そこに彼らの精神があったのだから。
とくに、こうやってバンドが解散して何年経ってからそれをやるということは、たとえば山田かまちの死が商業映画化されたりしたのと同じような形で、日本の軽薄なマスコミにオモチャにされる可能性が出てくる。その結果、きっとわけのわからない人たちまでが「ファー・イースト」のファンになってしまう可能性がある。
「ファー・イースト」のファンは特権的であるべきだ。
彼らを世間に紹介すること、それはいい面もあるかもしれないけど、悪い面のほうがはるかに多いと思う。」
引用が長くなりましたが、実際にこのサイトを立ち上げるにあたって、古いファンの一人からいただいたメールを紹介しました。
こういった意見は、ほんの一例にすぎません。他にも異口同音に、多くの反対意見がありました。
簡単に言えば、「『ファー・イースト』メジャー化反対運動」です。
その意見が多かったので、私たちもファンの人たちとメールを通して、あるいは直接会って、話し合いました。だって私たち自身も彼らのファンですし、気持ちは同じですから。
詳細は略しますが、 結構この反響が大きく、ケンケンゴウゴウありました。
ただ単に、
個人的な気持ちで言うなら、私は内心、ちょっぴりうれしかった。
うれしいと言うか、誇らしかった。
嗚呼、
「メジャー化反対運動」(!)なんてものが起きるなんて、
なんて「ファー・イースト」らしいんだろう!!
それ自体、このバンドの特異性を、あるいは本質を、表しているとは言えないでしょうか?
そんなバンドが、他にあるでしょうか?
海外までは知りませんが、すくなくとも、日本だったら「ファー・イースト」だけに違いない。
そういう確信はあります。
しかし、サイト関係者全員で話し合った結果、 次のような結論に達しました。
むろん名前を広めることは、無用のファンを増やすかもしれない。その危惧は私たち自身にもむろんあります。
しかし、ウェブの時代でもあり、彼らが現在活動していたら、インディペンデントなメディアであるウェブを積極的に使っていたのではないかとも思えますし、それに、もし私たちが書かなかったとしても、いつか誰かが書く可能性はあります。その場合危険なのは、知らない人たちによって興味本位で紹介をされることです。
さらに、その場合、今でさえ一部でいわれている「ドラッグ・エイデッド・バンド」をはじめとする、興味本位の評価ないしゴシップのたぐい、そういうものばかりが採り上げられて、彼らの本質が語られないこと、そのほうが危険なのです。
今ウェブを見ていて、とくにこの国(日本)において、どれほどまともなウェブ・ページがあるか考える時、その危険性を無視することはできませんでした。
そこで、長々とみんなで話し合った結果、誤解を広められるよりは、自分たちでちゃんと真実を伝えようという決断のほうに、天秤が傾いたのです。
そういったことも含めて、無用の伝説を超え、このグループの創ってきた世界をはっきりさせるためにも、彼らの実像がより等身大に見え、かつ、冷静に芸術的評価を一般の人々が下せるようなサイトを作るべきであるという意見が、仲間内で出ていました。
(逆に言えば、「ファー・イースト」自身、あの当時、たんにメジャーなり体制側を敵として刃向かうことを目的にしていたわけじゃないと思うのです。思い出してみて下さい。彼らがノーを言い続けたのは、日本の一部のこころないメディアの人々に対してでした。欧米ではそういうことはほとんどなかったのです。)
どうぞご理解下さい。
●「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」再評価の兆し 、そして .......
また同時に、一時はアンダーグラウンド・カリスマとして絶賛され、また一時はまったく世間から無視されていたこのバンドが、最近になって少しずつではあるが再評価の兆しが見えてきたのは、それまでにはなかった新しい動きと言えます。現在は米国ワシントンにある Lavalamp Records (芙苑晶が自ら参加・主宰しているレーベル)が彼らの全作品の版権を買い取っており、リスナーの要望が増えれば将来CD再発の可能性もあるとアナウンスしています。アメリカやヨーロッパのサイケデリック系のDJ の中には、彼らの初期のアルバムを好んでプレイする人たちも出てきているという事実もあります。
このままいけば、もしかすると彼らは、このバンドのウィンド奏者である、故・市川カヲルがひそかに愛した画家モジリアニのように、彼らはバンド亡き後にようやく評価される稀有なテクノ・バンドに変貌してゆくのかもしれません。
私たちは、単にそういった商業的可能性を自己目的化するのではなしに、ただ不埒な空想として楽しむにとどめながら、かつて私たち/彼らと同世代であった「最初のクラバー世代」(または最近ではそれは、「ケミカル世代」とも呼ばれていることを知りました)の中から生まれてきたこのバンドと、このバンドを愛した人たち、そしてこれからこのバンドに接しようとする、たんにコマーシャルなテクノ/ハウスに飽き足らない新しい世代の人たちに、すこしでもこのバンドの残した音楽とイメージの世界を伝えていければと思い、私たちはこのサイトを立ち上げました。
2005年8月30日
土井昌美、三珠アケミ、野崎ニーナ
|