Far East Acid House Quartet - ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット
 
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Far East Acid House Quartet - ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット

さよなら Far East Acid House Quartet

友藤奈緒美 (ファン/ Far East Acid House Quartet ファンクラブ関西支局代表、 24 才・兵庫県)


 毎回楽しみに読んできたこのファンクラブ会報も、いつかは終わりが来るだろうというのは、私ならずとも誰もが漠然と頭の隅に予測していたことではありました。しかしその日がこんなに早く、しかもこんなあっけない形で来ると、誰が予想したでしょうか。
 いつもの習慣で、FC会報が着くとすぐに大好きなセイロンティーを入れ、FC会報を広げてソファにだらしなく寝転がった私の前に、前号トップ記事の見出しが、私の目を撃ちました。
「 Far East Acid House Quartet 解散 ・ さよなら Far East 永遠に」
 私はその大きな文字を食い入るように眺め、しばらくは事情が飲み込めないままに、ただ呆然としていました。笑えないジョークを聴かされた時のように、私はそのままの姿勢で、一瞬呆然となって宙を眺めていました。
 その理由は? 理由があるはずだ。そう考えて慌ててその記事の続きを読もうとした私の目に飛び込んできたその真下の見出しは、さらに驚くべきものでした。
「田嶋エリサ死亡!」
 頭をハンマーで殴られたような衝撃が走り、私は、嘘、と弱々しい声をあげていた。やがてその声は、鈍い遣りきれない嗚咽に変わっていきました。

 しかし、他になすすべもなく、嗚咽を堪えて記事を読みました。「享年三〇才」「孤独の死」「裸で浴室で発見」「死因は心筋梗塞」「麻薬常習の可能性」「警察の取り調べ」といった文字が目を流れていきましたが、意味は飲み込めませんでした。私の目はすでに涙でいっぱいになり、読めなかったせいもありますが、私の頭がそれを理解することを拒否していたのです。つづいていくつかのそれに関する記事が、どのページにも並んでいました。
 思えば、その一年少し前、 95 年に市川カヲルちゃんが亡くなった時も、 Far East ファンの間には相当な衝撃が走ったものでした。これであのバンドも終わりだねとこともなげにいった(あまり熱心なファンではなかった)友達もいました。「カヲルちゃん、鬱だったんだって」「自殺だったかもしれないって」そんなふうに、まるで知り合いのことを言うように言った女友達も。
 しかし今度はどうだろうか。カヲルちゃんの時をはるかに上回る衝撃がファンの間に走っているに違いない。私はそう直感しました。なにしろエリサのファンは、かなりの数だったはずです。かくいう私も、むろん四人のそれぞれの個性に魅せられ、みんなそれぞれに好きだったけど、でもとくに誰か一人と言われたら、迷うことなく田嶋エリサと答えたであろうファンの一人でした。それだけに、この日の FC 会報記事の見出しは、ほんとうにしばらくは足腰が立たないほどの強烈な衝撃でした。
 その次に私の頭をよぎったのは、なぜ? という疑問でした。やはりあの事件からまもないこともあり、市川カヲルの死と関係があるのか? という連想がとっさに浮かびました。だとすると後追い自殺か? しかしFC会報の他のページの関連記事や、その後ファン同士の間での噂なども総合して考えると、どうやらこの二人の死はそれぞれ独立したもので、関連性はなさそうです。しかしそれならばなおのこと、なんという偶然、なんという不吉な暗合でしょうか!
 エリサの死因は不明とされています。ファン同士の集いや、その場で生まれる噂の中では、彼女の死はドラッグに関係があるという説が濃厚のようです。ずっと麻薬中毒だったという噂が流れていて、むろん、その中には低俗なゴシップ趣味に影響された流言飛語もあるでしょう。しかし確かに、私たちはその可能性を否定することはできません。なぜなら彼女をはじめとするメンバーたちは全員、ドラッグを使用した経験を公言していましたから。たとえそれが事故だったにせよ、あの健康的でスタイルのいい彼女が死んだ、というだけで、この事件の異常さは充分すぎるほど伝わってきました。
 私はその夜、まんじりともせず、一睡もできませんでした。夜中に、電話が鳴りました。 Far East ファンの親友K子からでした。彼女も私と同じ状況でした。私は「眠れないんだ。」と苦笑して言いました。K子は「ね、クラブ、行こうか」と言いました。私は元気に「うん!」と一も二もなく答えました。むしろ救われた気持ちでしたが、そのとき、出かける準備をしながら、涙がまた胸をつまらせました。
 そう、クラブ。ほかでもないクラブ、私たちにはまだ行く場所がないのだ。そう思った。リョウ(スペース DJ リョウ)の言葉を借りれば「いまではただのナンパ場になってしまった」場所、だけど、彼らがデビューし、彼らが活動し、彼らが愛し、私をはじめとする多くのファン達が彼らと出会った場所、クラブ。そこへまた私は行こうとしている。なんてことだろう。いつまでこの堂々巡りを続けたら気が済むんだろう。
 K子はクラバー仲間を連れてきていました。あるいは、そこのクラブに来ていた友達数名に、私やK子が田嶋エリサの急死と Far East Acid House Quartet 解散の話を告げると、彼ら、彼女らは呆然と立ちすくみ、何人かは泣き出しました。一人の男の子は畜生と叫んで壁を殴り、べつの一人の男の子はトイレに駆け込みました。私は彼がどうするか気づいていた。彼はドラッグを決めて出てくるはずでした。予想通り、約三分後、目がとろんとした状態で彼は私たちの前に姿を現しました。みんなそのことに気づいていたけど、それを止める気にはなれませんでした。やる・やらないは別として、私たちだって似たような心境だったのですから。
 その明け方、あるファンの子が、こんなことを言いました。
「ほんとに、これで終わりなんだなあ」
 みんな踊り疲れ、あるいは泣き疲れ、考え疲れて、黙ったままうなずいていたけれど、同じ気持ちだったにちがいありません。
 カヲルのときは、もちろん悲しかったけど、それでもまだバンドは存続するんだという、不幸中の幸いとも言える小さな希望があった。しかし今回は、田嶋エリサという花形メンバーの死によって、バンドの解散という決定的な終わりも同時にやって来たのです。
 ほんとうに、これで解散してしまうのですね。

 「彼らの歴史はそのまま、日本のアンダーグラウンド・レイヴの歴史だった。」

 前号で、上埜邦彦さんがそんなふうに書いておられたのが印象に残りました。まさしくその通りだと思います。彼らを愛した人たち、おそらく世代で言えば、 1960 年代半ばから 70 年代後半ぐらいにかけての世代の若い人たち。つまり現在(注: 1997 年)十代後半から三十才ぐらいの世代の人たちです。この世代は、大ざっぱな言い方をすれば(そして日本でどの程度ほんとうのクラブ・カルチャーが根付いたかを無視して、表面的に言うならば)クラブ世代、レイヴ世代と言ってもいいでしょう。
 この世代の中には、私と同様、彼らとともにその青春期を歩んだ人たちもいるに違いありません。レイヴというものが、本来アンダーグラウンドのものであり、カルト的サブ・カルチャーの世界のものであることをあらためて思う時、リョウが言った通り、彼らのほんとうによかった時代というのは、その黎明期である 1988 − 91 年ぐらいのせいぜい3、4年であったという説はうなずけるものがあります。そう、イリーガル・レイヴの暗黒時代です。私はかろうじてその最後の頃のレイヴに間に合った世代ですが、しかしあれはほんとうに、行った人、体験した人だけがわかる、感動的な世界、そして共犯者的な世界です。
 そして、上埜さんをはじめ何人かの方が指摘されているように、彼らが活動をやめてレコーディング・バンドへと変貌した 1992 年以後、皮肉なことに、世間ではハウス、レイヴ、クラブ・カルチャーといったものが次第にオーバーグラウンドのカルチャーとしてクローズアップされるようになっていきました。日本の雑誌や TV をはじめとする、およそレイヴやクラブなどに興味どころかこれっぽっちのまともな知識も体験もないマスコミの人たちがまずそれを採り上げ、マスコミに乗ったことによって、それらはしだいに日常的な文化へと変質していきました。必ずしもクラブやレイヴ向けでない人たちがそういうパーティに集まるようになり、テクノやハウスといった音楽もしだいに金儲けのツールとして流通し始めたのです。
 言ってみれば、 Far East Acid House Quartet というのはなんと世渡りのヘタな、不器用なグループだったのでしょう。そしてなんと誠実で、なんと真にアンダーグラウンド・スピリット溢れる芸術家たちだったのでしょう。テクノやハウスがクローズアップされるようになった 92 年以降、彼らは逆にマスコミを拒否し、スタジオにひきこもって、気難しく音響実験を続けるサイケデリック・バンドへと変貌してしまったのです。
 そしていまや、偽物のラブ・アンド・ピースが流行り、クラブだけではない、彼らがオリジネーターであったところのレイヴ・パーティまでも今では商業化されて大規模なものになり、片や歌謡曲のアレンジにテクノが安易に流用されて、真のテクノやクラブの文化のまったく根付かないままに、それがファッションとして金儲けの道具として、ひと山いくらのように切り売りされつつあるこの国の文化状況の中で、かつて「日本にレイヴ・カルチャーなんてなかった」と言い切った田嶋エリサの言葉が蘇ります。
 市川カヲルを失って三人編成になった彼らが、 96 年に入ってから、その最後に計画していたプロジェクトが、新しいアルバムのレコーディングと並行して、あの「レインボー 2000 」への出演計画だったというのは驚きですが、しかしそれが彼らの果たせざる最後のプランになったという事実は、彼らの歴史を振り返ってみると、実に象徴的なことのように思えます。そしてあまりにもよくできた皮肉な運命という気がしてなりません。
 レインボー 2000 自体は、行った子たちもいて、写真やビデオで見る限り、私はけっして悪いイベントだったとは思いません。 Far East Acid House Quartet が出ようとしただけのことはあって、それなりの誠実な催しだったのだろうということは十分に想像されるし、現在の、レイヴを勘違いした日本のシーンにあって、かなりよく出来たものだったと思えます。
 しかし、これに彼らが出なくてよかったと内心思うのは、私だけでしょうか。そして田嶋エリサの死がそれを事実上不可能たらしめたというのは、なにか崇高な神の意志のようにすら思えるのです。

 神?  …… そう、そんなものがあるならば(とくに今の私には信じられそうにないけれど)の話。おそらくそれはレイヴの神でしょう。レイヴの神は彼らに言ったはず、
「これに出てはいけない。なぜなら、有名になってしまうから」
 そして神は、それと同時に田嶋エリサを召した。

 思えば、短いような長いような、そのどちらでもあってどちらでもないような、そんな九年間でした。といっても私は遅れてきたファンの一人です。 88 − 91 年という、 Far East のごく初期をリアルタイムには知らない私は、最初彼らのファンになった頃、どれほど彼らの最初の頃のライブ、いえ、イリーガル・レイヴに行きたかったと歯ぎしりしたかしれません。だけどごく最近 Far East を知り、彼らのファンになったという人も少なくはないので、まだ私などはラッキーなほうかもしれません。
 そして活動初期から思えば、ここ数年の彼らは、音楽的にも意外なほど豊かだし、複雑になったと思う。それは四人がいろいろ勉強し吸収し、成長したからに他ならないけれど、私は個人的には、デビュー間もない頃の、ハウスとレイヴ一筋だった彼らがいちばん好きです。今の彼らが良くないと言うのじゃなくて、そこにこそ彼らの原点があったと思うからです。
 最後のお別れパーティがイリーガル・レイヴだったこと、これには大きな意味があったと思います。

 二人のメンバーが若くして死亡するという事態のなかで、あとに残された二人のことも考えました。
 リョウちゃんは「音楽をやめる」と言っているのだそうで、これには驚かされました。よほどショックだったのでしょう。エリサの死が直接の引き金ではなかったにせよ、リョウにとっては Far East Acid House Quartet というのはメインのプロジェクトだったのだから、力を失って当然です。「バイバイ・イリーガル・レイヴ」ナイトでも、空元気っぽい感じがむしろ悲しかった。でもエリサのお葬式がレイヴだなんて、なんて粋な計らいだったでしょう!?
 熱心なファンの間でいま、すこし批判と攻撃の的になっているアキ君(芙苑晶)のことにも言及しておくべきでしょう。要約すればつまり、彼のバンド解散にまつわる最近の発言にはおもに二つの問題があり、その一は彼が Far East Acid House Quartet について「あれは大した意味のあるプロジェクトではなかった」と公言したこと。第二は、元・妻であり恋人であった田嶋エリサの死に対して「僕はその日、スタジオに戻り、仕事をつづけた」とだけ答えたこと。おもにこの二点のようです。
 私は彼を批判しているファンの子たちの気持ちはわからないでもありません。しかし、アキ君の表現を字義通り受け取っていいものかというのは、私には疑問があります。
 彼が嘘を言っているというのではありません。そうではなくて、フゾノ・アキという人はどこか、芸術家肌の人にありがちな、ときおりちょっと屈折したような表現をするところのある人ですね。それは彼がひねくれているとかじゃなくて、エリサやリョウのように言葉がストレートではないんだと思うのです。
 具体的に言うと、第一の発言について言えば、芙苑晶というアーティストのプロジェクトについて考えると、彼の場合元々ソロ・アーティストで作曲家だったのを、他の三人に拝み倒されて入ったという経緯があったことを忘れてはならないと思います。彼のソロ・アルバムを聴けばわかることですが、それは Far East の作品以上に音楽的に凝りに凝った凄いもので、一度聴けばこの人が天才といわれるのがわかるでしょう。すくなくともアキは、リョウとは逆で、元々バンドなどなくてもやっていける人なのです。そしてバンド活動の後半、芙苑晶はバンドをやめたがっていたこと、気のいい人ではあるが暴君的なところのあったリョウとの軋轢もあったことなどを考えれば、彼の発言というのも納得がいくものがあります。
 第二の発言、田嶋エリサの死のニュースが入った日、彼が「スタジオに戻り、仕事をつづけた」と答えたこと。これは私は、皆が批判するほどそんなに悪いことだとは思えません。田嶋エリサと芙苑晶のカップルが離婚したあとも、彼らには友情があったとエリサ自身が語っているのはほんとうだと思うし、たとえ会うことはあまりなくても、アキ君にも彼女に対する優しさはあったと思うのです。でも彼は自他共に認めるワーカホリックです。天才といわれるタイプの人がたいていそうであるように、芙苑晶という人も、ひたすら部屋にこもって仕事をしつづけているらしい。元奥さんである田嶋エリサが死んだ時、彼とて何も思わなかったはずはないと思いますが、ただ彼は仕事に戻った、のです。むしろ、動揺を隠すために、自分を保つために、仕事を続けたのかもしれません。
 とにかく、私はいま、残されたこの二人のメンバーを責めたり批判したりだけはしたくないのです。私たちはファンだから好きなことを言っていられるけど、彼らは当事者なのです。私たちファンが自分たちの手前勝手な見方で、渦中の人である彼らをどうして責めることができるでしょう。それに私には彼らをいま批判しているファンの人たちは、エリサが急死しバンドが解散することになったという事実に興奮しパニック状態になっている部分が大きいように思うのです。どうかファンのみなさん、冷静になって下さい。もし声をあげるのなら、事実はどうあれ、残された彼らに、まずは優しい声をかけてあげたいと私は思います。

 彼らはすぐれた音楽家で、 DJ 、ダンサーです。けれども同時にすばらしいパーソナリティでありカリスマ的な若者たちでした。醒めていること、なににも熱中しないで平凡に静かに生きることがカッコいいとされる(人がそう言うのではないが、なんとなくそういう雰囲気が漂ってしまっている)今の時代の、今の日本という国にあって、彼らの存在はそれだけで異色であり、実際に貴重なものでした。その存在を事実上失った今、私は正直言って、一つの希望の光を見失った気持ちです。
 ファンの子たち、とくにピュアな若い子たちが、後追い自殺なんかしなければいいがと思います。

 彼らのファンはみんな、彼らが有名になってほしくないと、口をそろえて言うでしょう。私もそう願う一人です。
 私はまだ 25 才。若いといわれる年齢です。だけれど、私には一つの勲章がある。私は、彼らとともに歩んだ世代の一人です。そんな私もいつかは誰かと(たぶん)結婚し、場合によっては子供を産み、やがて年老いていくのでしょう。
 でもいつの日か、私が 40 才、 50 才になる日が来て、他の青春の記憶を忘れ去っても、彼らのことだけは忘れないでしょう。あれほどの強烈な感動を与えてくれる存在は、他になかったと断言出来ます。それは彼らが、この国にウヨウヨいる、ただの音楽タレントの仲間ではなかったからです。
 彼らのライブのあの迫力と感動は、言葉で再現出来るものでは到底ありません。とくに、あのすばらしいイリーガル・レイヴの数々は、私の、いや、あの場にいたファンたちの胸に永遠に刻まれることでしょう。
 その意味で、彼らの本質はやはりイリーガル・レイヴにあったと思えます。社会的には「悪」のイメージを烙印された彼らの栄光と不安は、双つながらそこにありました。

 時が、残酷に、砂漠の上の文字を消すように、
 私たちの記憶から美しい過去の残像を消し去る日が来ても、
 どうか、忘れないでほしい。
 この文化の果つる国にも、あんなすばらしい本物のバンドがあったことを。
 彼らが作った音楽を。彼らが遺した不世出の文化とイメージの世界を。
 そして、彼らとともに歩んだ世代があったことを。

 エリサ、ありがとう、
 リョウ、ありがとう、
 アキ、ありがとう、

 カヲル、ありがとう、
 そして Far East Acid House Quartet の関係者のみなさんをはじめ、ファンのみんな、彼らを愛したみんな、どうもありがとう。
 さようなら

(ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット FC 会報・ 1997 年 2 月号)

※この原稿は、ファンクラブ会報に掲載されたものをそのまま引用しています。ウェブへの転載を許可していただいた筆者のご厚意に感謝いたします。 ウェブサイト管理人/スタッフ一同

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