Far East Acid House Quartet - ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット
 
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「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」FAQ(よくある質問)

 
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット ( Far East Acid House Quartet ) (1988 - 1996) 

Q-02

彼らは「アンダーグラウンド」に「こだわった」か?

 

 

 

ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの名を聞くと、ある人々は、
「ああ、アングラのトランス・バンドね」
という反応を示したりします。

 

彼らはたしかにある意味、「アンダーグラウンド」であることにこだわり、ことさらにそういう方向ばかりを選んでいたようにも「見えます」。

 

しかし、振り返ってみると彼らは、必ずしも「アンダーグラウンド」を売り物にしていたわけではないし、べつに「こだわって」いたのではなく、「結果、そうなった」と見るべきではないかと私たちは思っています。

実際、当時のメンバーの発言にも、そういったニュアンスが見られます。

むしろ、彼らが当時よく使っていたのは「異端」という言葉です。しかも、独特な誇りを持って、この言葉をよく使っていました。

この「異端」という言葉こそ、ある意味(ちゃんと理解すれば)「ファー・イースト」という存在を理解する鍵になるのでは、と私たちスタッフは考えています。

下記に、その理由を大まかに記してみます。

話の性格上、説明はやや長くなり、また、やや難しい部分が出てきますが、そこは妥協せずに書いています(中途半端な理解が一番良くないので)。

なので、「ファー・イースト」を理解したい、もっと知りたいと思う方は、ぜひご一読あれ・・・!!

 

(1)日本という国のバイアス

 
「アングラ」というのはあくまでも「社会的な」物の見方にすぎません。
売れ線のJ-POPのような音楽をスタンダードと見る場合、確かに「ファー・イースト」は「アングラ」のように「見える」に違いありません。
 
しかしこれは、実は、日本という国のバイアス(傾向、偏り)も、そこに影響しているのです。
ヨーロッパでは当たり前のことが、日本の中で見ると異常、というようなことがありますが、これもその一例と言えます。

当時のメンバーたちのインタビューでの発言から引用してみましょう。
 
「・・・日本の音楽シーンは異常だと思う。レコード屋に行くでしょ、そしたら売ってるのは9割歌謡曲とかポップスでしょ。テクノとか捜そうと思うと、HMVとかCISCOとか行かないとない(中略)」

「でもドイツとかオランダとかイギリスとかだったら、逆だからね。歌謡曲が色物で、テクノやクラシックがスタンダードでしょ」

「だからねー、位相が逆転してるんだよね。だから日本で私たちがアングラっていうレッテル貼られてるのは、まあ私たちのイメージもあるんだろうけど、日本の音楽シーン自体が異常っていうのがまずあるんで、そこを抜きにして、『アングラ、アングラ』って言われてもね・・・
  そのへんをそこらへんの人に、第三者とかに説明するのって、もう至難の業なのね。だから最近はもう、あきらめてるのね 」

(田嶋エリサ。「地下室」インタビューより)
 
これは、テクノ、トランス、ハウスなどのダンスミュージック / エレクトロニック・ミュージックのリスナーであれば、似たような思いを痛感されている人も多いと思います。

まずこのことを頭に入れてもらった上で、以下を読んでみてください。
 

(2)レイヴ = DIYの精神

 

ご存知のように、「ファー・イースト」は元々、「レイヴ・バンド」という特異なスタンスで始まったバンドでした。
ある意味では、レコーディングは「レイヴのための音楽の記録」という意味合いもあり、彼らは本質的には「レイヴ・バンド」であったということがあります。

 
では「レイヴ」とは何でしょうか?
まずそのことから検証しなければなりません。
 
昨今、日本でも「レイヴ」なる言葉が、ネット上にもしばしば見受けられます。言葉だけは・・・。

しかし、それらの多くは「ファー・イースト」のやっていたような「野外レイヴ・パーティ」とは、およそ何の関係もないものばかりです。

元々「レイヴ(Rave)」とは、いくつかの意味のある単語なので、「野外レイヴ・パーティ」以外の意味に使われることは、全然問題ありません。

問題は、たんに「テクノのコンサート」を「レイヴ」と定義している場合です。これは、あながち「間違い」とは言えません。現在では「レイヴ」という言葉は、海外でもそのような使われ方をする場合は、しばしばあるからです。
 
ただしこれも、前述の「(1)日本という国のバイアス」に述べたことと同様、日本ならではのバイアスが大きく影響しているのです。

つまり、日本という国の、「世界にも稀な、文化的ないびつさ」と「コマーシャリズムの台頭」を無視しては、語れない「ゆがみ」が、大きく影響しているのです。
 
たとえば、「レイヴ」発祥の地と言われるヨーロッパで「レイヴ(Rave)」と言ったら、どういうニュアンスで受け取られるでしょうか?

それは、そう、まさに「ファー・イースト」のやっていたような「レイヴ(Rave)」なのです。

あるいは最近の若い世代の人たちで言えば、メジャーのレコード会社がスポンサーをつけて大ハコでやっているような「テクノ・コンサート」ではなく、若い世代の人たちが自主的に野外でやっているようなトランスのライヴがありますが、ああいうものを「レイヴ(Rave)」と言います。

はっきり言って(悪口を言うつもりはないですが)、たんなる「テクノのコンサート」を全部「レイヴ」と言っているのは、日本ぐらいと思われます。

(「トランス」などにも似たようなことが言えます。日本で出ている「トランス」と銘打たれた日本オリジナルのCDを、海外の人に聞かせたら、ポップスとしか思わないものが大半でしょう)

ヨーロッパだけではなく、他のアジアやアメリカ圏のレイヴ・ファンが聞いたら、大笑いされると思います。これは私たちスタッフ自身、海外諸国で「ファー・イースト」のメンバーとともに「レイヴ(Rave)」に参加してきた経験からも言えることですね・・・。
 
では、「レイヴ(Rave)」と、「ふつうのテクノのコンサート」には、どういう違いがあるでしょうか?

いろいろな言い方が出来ますが、決定的な違いは「DIY (Do It Yourself)の精神があるかないか」だと言えます。
これは私たちが勝手に言っているのではなく、世界標準の公式見解です。

「レイヴ(Rave)」には、DIYの精神こそが不可欠です。
 
メジャーのレコード会社のスポンサリングする「「レイヴ」(と銘打たれたただのテクノ・コンサート)に、「DIYの精神」があるでしょうか?

それはそれで結構ですし、私たちもそういうもの(の中でクオリティのあるもの)には参加したこともあります。しかしそこには、「DIYの精神」は、望むべくもありません。
 
これも、前項の「(1)日本という国のバイアス」に関係しますが、歌謡曲やポップスが9割近くをシェアする国においては、確かに、「DIYの精神に基づいたレイヴ(Rave)・バンド」は、「アンダーグラウンド」と見えるでしょう。
 
簡単に言うと、この点でも、「ファー・イースト」のようなバンドは、日本においては歪んだバイアスで見られているということがいえます。
 

(3)「ファー・イースト」の特異性

 
前項(1)(2)では、日本という国の「特異性」について述べてきました(これは批判ではなく、「特異性」に対する「指摘」です。混同しないようにお願いします。)


次は逆に、「ファー・イースト」というバンドの「特異性」について述べましょう。
 
そう、平たく言えば、「日本のバイアス」のせいだけではなく、「ファー・イーストの特性」も、そこに加味されています。

彼らは、ヨーロッパやアメリカ、アジアなどにおいてもファンを持っていますが、やはり世界的に見ても、かなり特異なバンドです。
 
先ほど述べた、今もなお、「DIY的な野外のレイヴ・パーティ」は、アンダーグラウンドであるがゆえに、メディアには出てきませんが、しかしこの流れは、日本国内にもしっかり存在します。

こういう本物の「レイヴ(Rave)」を、今もなお自主的にやっている若い世代の人たちは、言ってみれば「ファー・イーストの子孫」といったところでしょう。
 
ところが、「ファー・イースト」活動当時から現在(2007年)に至るまで、「ファー・イーストのようなバンド」は、出てきていないようです。

ダンサーとミュージシャン三人という編成のユニークさ、まるで呪術か原始時代の宗教儀式のようなあの「レイヴ(Rave)」。客たちまでがメンバーのように「参加」し、楽器を持ち込んだり、時には興奮して裸になって踊ってしまったり・・・。

こういうバンドが出てこないのは、まあ一つには「時代のせい」という人もいるようですが、やはり何と言っても、「ファー・イースト」自体が特異なキャラクターのバンドだったということでしょう。
 
当時の彼らのインタビューを読むと、彼らは、「自分たちがやりたいから、やりたいことを、やりたいようにやり続ける」のだとよく言っていることに気づきます。

「自分たちがやりたいから、やりたいことを、やりたいようにやり続ける」・・・これは、人間誰もが夢想している「生き方」かもしれない。
だが、実行しようとなると、なかなか難しいものです。

ましてや、現在のように、コマーシャリズム(商業主義)が世の中を覆いつくす時代にあっては、かなり勇気もいるでしょう。勇気を持ってやったって、心無い第三者からの攻撃にあうことは覚悟せねばなりません。
 
そしてそのようなアーティストはいつの時代にも、「異端」と見なされます。「ファー・イースト」も、そうだったのです。

昨今、ネットなどで検索すると、「異端」と「アングラ」をいっしょにしている人が多いことに、私たちは気づきます。
その二つは、確かに重なるものがあるでしょう。しかし、それは結果であって、目的ではないはずです。
 
彼らが自らの「異端性」を誇りにすることはあっても、みずから「アングラ」と自認してわけではないように思えます。

「ファー・イースト」は当時も、「アンダーグラウンド」呼ばわりされていましたし、彼らはその言葉を静かに受け止めていたように思います。実際、「社会的に」見れば、彼らは「アンダーグラウンド」のアーティスト、バンドということになるでしょう。

しかし今述べた、「正統的な異端であること」と、「たんなる(だらしない・ポリシーを欠いた・またはファッションとしての)アングラ」の違いを分かった上で、そう呼ぶ人(おそらくその人は理解者でしょう)が、何人いるでしょうか?
 

小理屈をこねているように聴こえるかもしれませんが、これもまた、日本という国の特異性に関係する問題なのです。

ほとんど全ての文化が「商品」とか「ビジネス」として扱われ、メディアによって一方的にエスタブリッシュされたものしか認めようとしない大人たちがあまりに多いこの国で、「アングラ」という言葉はどういう意味を持つでしょうか?

経済と既得権の倫理に振り回され、みずから文化を作り出そうとしない大人たちがあまりに多い中で、「世界水準の価値観を持った、正統的な異端であること」を標榜する若者が登場した場合、大人たちはそれを認めようとするでしょうか?

 
このようなことを考える時、「ファー・イースト」は、音楽とかレイヴにとどまらない、社会的な問題を投げかけたバンドであったと言うことが出来る気がします。実際、これだけ異色のバンドでありながら、今も世代を超えて支持者が存在するというのは、異例のことでしょう。
 
「アンダーグラウンドっていう言葉に誇りを持ってやっている人たちが、何人いるかと思うんですよね。私たちは誇りを持ってそこでやってるわけだけど、でも、何も知らない人たちが、ただ外面だけを見て、アングラ、アングラと言うのを見ると、言うと悪いんだけど、本人たちの無知を宣伝しているだけに過ぎないって気がして、可哀想になってくるのね・・・。
  それは私たちだけじゃなくて、口に出さないだけで、そう思ってる若い子は、日本にいっぱいいるわけです 」

(田嶋エリサ)
 

 

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