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メンバーたちが語る「このバンドについて」
(インタビュー、エッセイより構成)
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ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット
( Far East Acid House Quartet )
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田嶋エリサ
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- 「私たち、ただのバンドじゃない。ファミリーなの。コミューンなの。笑われてもいい、笑うのはあんたの勝手だから。でもそんなバンド、今の日本にいないでしょ? いまどき日本でバンドやってる奴なんて、まあ100個バンドがあったら97個まで、みんな色気か食い気か、どっちかじゃん」
- 「アシッド・ハウスっていうのは、ほんとは冗談。私たちがほんとに好きな音楽はサイケデリック・ロックで、私たちは最高のロックンロールバンドよ」(1991年)
- 「いま思えば、このバンドに入った時、ほんとうの意味で、ダンサー・田嶋エリサが誕生したんだと思う」
- 「私たちはほんとうに仲が良かった。どこへ行くのも、何をするのもいっしょだった。結局、バンドをやって一番楽しんだのは客やファンじゃなく、私たち自身だったような気がしている」(1995年)
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スペースDJリョウ |
- 「一番俺らのバンドが良かったのは、1988年とか89年やったと思う。ほんまはあの頃一番ゴアが流行ってた、イギリスでは。だから俺らのファンは、俺らの一番いい音楽を聴いてないし、一番よかったステージを見てない」
- 「90年代になってからは、クラブ自体がコマーシャルになってしもたから、一番来るべきじゃない連中がクラブに来るようになって、つまらんようになった。最近じゃクラブはナンパ目当ての兄ちゃん姉ちゃんの集会所になってるって誰かが言うてたが、そんなんはまだええ。俺はもう、あの日本のわけわからんヒップホップのクソガキとか見てたらマジで気分悪うなって、DJなんか明日にでもやめたろかて思うことある」(1994年)
- 「言いたいことは、俺たちがやったこと、俺たちが作ってきた音楽、俺たちがやっていたステージの中にある。
今はもう、何も言うべきことはない」(1997年)
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| てき |
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芙苑晶 |
- 「Far East の魅力は、一言で言えば、秘密結社の魅力だ。レイヴが僕らの結社会場だ。選ばれた人々だけがそこに集まってくる。そこで行われるのはただのコンサートじゃない、一種の宗教的儀式、つまり神聖な秘儀なのだ」(1991年)
- 「 Far East は、ロックバンドよりも、前衛劇団に似ている。 Far East の音楽は、ロックやテクノよりも、アブストラクト・アクション・ペインティングに似ている。 Far East のライブは、ロックコンサートよりは、ネイティヴ・アメリカンやヴードゥーの秘儀に似ている。そこでは僕らはパフォーマーというよりはむしろ、秘儀を司る巫女たちに似ている」(1994年、エッセイより)
- 「もう二度とあんなバンドは出てこない。僕自身、あんなことはもう、二度とできない」
- 「ある意味では僕らのバンドは、長く続きすぎたね。せいぜい1992年で解散すべきだったと思う」
(1997年、解散時のインタビュー)
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市川カヲル |
- 「私は終わりのないものに惹かれる。 Far East で演奏すること、それは果てのないオーガズムの再確認」(1991年)
- 「私はかつて家族の中で、ずっとひとりぼっちだった。それに、友達っていなかったのね。知り合いはいっぱいいたけど、友達っていうのはいなかった。このバンドに入って、私は初めて友達ができたと思った。そしてその友達は家族以上だったので、私はこのバンドが、自分の家のようになった」
「そしてバンドが活動を事実上停止した今、私は、自分の家を失った野良猫のような気がしている」
- 「私たち四人は、きっと前世で一緒だったと思う。そしてもし来世があるなら、もう一度巡り会いたい。今度はこんな混乱した、悲しい時代に、こんな難しい仕事をするんじゃなく、もっと平和でのどかな時代に生まれて、四人でただ鬼ごっこでもして、ずっと遊んでいたい」(1995年)
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