-
「ファー・イースト」のリード・パート担当で、いわばヴォーカル的な重要な役割に担っており、バンドマスター的な役目をつとめていた市川カヲルは、最初、ジャズ・バンドでやっていたため、アルト・サックスが彼女の持ち楽器だったが、88年、淫心からファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットになって以後は、ウィンド・コントローラー( MIDI コントロールできる電子管楽器)をメインに使うようになった。
-
ウィンドを使用することでサウンドの幅が広がった。つまりその音源としてシンセサイザーがつながれていて、いろいろな音が出せるからだ。
だが市川カヲルは比較的オーソドックスな音を選んでいたことが多かったと思う。いわゆるリード・パートに使われるような音である。
-
あまり知られていないきらいもあるが、彼女はベース・シンセサイザーの担当でもあった。ウィンドを吹かない曲では、シンセベースをよく弾いたり、ツマミを回転させたりしていた。使用していたのはもっぱらミニムーグまたは TB-303 (リョウの303が高温部のシーケンス・パートなのに対し、カヲルのそれはベース・パート)が多かったようだ。
-
市川カヲルのステージ位置は、客から見て右側が定位置だった。出てくる順序は二番目か三番目。芙苑晶がアンビエント的なキーボードを弾き、そのあとに出てくることが多かった。
最初か最後ということはほとんどなかった。それは彼女がリード・パート担当ということに関係している。
-
非常に稀なケースとして、例外的に彼女が最初に出てきたこともあった。筆者の記憶では長野県でのレイヴの時だ。いきなりどこからかサックスの音が聞こえてきたので、客たちはキョロキョロあたりを見回している。すると客たちのいた後ろのほうから市川カヲルが、アルトサックスを吹きながら、ゆっくり歩いてくるのが見えた。
だが、こういうことはそうそう滅多にはなかった。
-
よく言われるように、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの醍醐味は、音楽とダンスのバトルにある。言ってみれば、ロックバンドで言うボーカルに相当する田嶋エリサ(実際にはダンサーだが)と、他の三人という関係で成り立っていた。
しかし音楽的な意味では、 市川カヲルがボーカルの位置に近い。彼女はリード・パートだったからだ。
-
ジャズ、ロック、テクノとどんなフレーズでも吹きこなす彼女は、時にはユーモアのセンスもかいま見せた。クラブなどでよくあったパターンだが、「ファー・イースト」のオリジナル曲に混じって、時折「太陽にほえろ!」のテーマを吹いたり、「上海帰りのリル」を吹いたり等して、ステージを湧かせていたのも彼女だ。
-
市川カヲルのステージ・ファッションは、何パターンかあった。定番だったのはグラムロック/サイケロッカー風のそれで、ショートヘアを金髪に脱色し(時には赤く染めて)、毒々しい化粧をし(目を隈取っていたのは、実は麻薬中毒を隠すためだという説まであった)、銀色や赤、メタリック・ブルーなどの革ジャンを着ていることが多かった。
マーク・ボランをヒントにしたと彼女自身語っているそのファッションは、どこかしら両性具有的なイメージがあり、男女問わずファンが多かった。
-
ステージでのパフォーマンスは? 裸になる田嶋エリサ、キーボードを破壊して燃やす芙苑晶、マイクで客を罵倒するスペースDJリョウ。派手な印象の三人に対し、市川カヲルには最初の頃は、それほど強烈なパフォーマンスはなかった。
「最初レイヴを始めた頃、他の三人が派手なことやり出して、じゃあ私はその反対に、静かなことしようって思って、考えたのがシャボン玉。子供の頃、シャボン玉好きでね、熱中したの思い出して」
これは意外な効果を生み、彼女の吹くシャボン玉は、サイケデリックな照明や映像の中で、一種の幻想的なトリップのようなエフェクトとなった。
-
さらにのちになって、彼女がやり出した過激なパフォーマンスが、なんと「吐く」パフォーマンスだ。これはおもに、パンク/オルタナティブ系のライブハウスなどで何度かおこなわれた。
「高校の頃は肥ってメガネをかけて、顔にニキビがいっぱいある、過食癖のあるダサい女の子。その頃の写真を見せてもまったく別人だと言われて信じてもらえない。でも本当なの」
「どうしても痩せたくて、食べ終わると喉の奥に指突っ込んでトイレに吐いてた。それで三ヶ月で痩せて、今の体型になった。
ライブで吐くパフォーマンスやってたのは、その頃の記憶の再現なんだよね」
「高校の頃とは別人になりたくて、関西に来てからは、髪の毛バッサリ切って脱色して ........ 里帰りしたとき、道で高校時代の友達に会って挨拶したら、誰?って言われた」
他の三人のパフォーマンスには、どんなに過激でもエンターテインメント性があったが、この市川カヲルのパフォーマンスは皆が震え上がった。
-
さらに客を驚かせたのは、ある夜、横浜のクラブに出演した時のこと、彼女が(おそらくアシッドで?)フラフラになってステージに出てきたかと思うと、いきなり皆の前でシャツの袖をまくり上げ、腕に注射を打ったことだ。
このあと、ほとんど演奏もしないまま、失神した市川カヲルはスタッフに担がれてステージを降りた。その夜は仕方なく、残った三人がステージをつづけた。
客は騒然となったが、「たぶんあれはステージでの演技だろう」とたいていの人は思った。
ところが、そうではなかった。あとになって、彼女は本物のヘロインを注射したらしいことがわかったのだが、その時は誰も(もちろん他のメンバーやスタッフも)気づかなかったという。
このことは、「ファー・イースト」の数あるライブ伝説のうちでも、最も異常な逸話として、語り草になっている。