Far East Acid House Quartet - ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット
 
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット( Far East Acid House Quartet )ファンサイト/資料館
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Far East Acid House Quartet(ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット) :プロフィール

Far East Acid House Quartet(ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット)
Far East Acid House Quartet - ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット ●日本初のアシッド・ハウス・グループにして、世界にも稀有な(そしてこの面でも日本初と推定される)レイヴ・バンド。
サイケデリック・ロック・ユニット「淫心」が分裂して生まれたグループで、1988年7月、神秘主義と LSD 体験に熱中していた4人の日本人の若者

田嶋エリサ (ダンス、パーカッション、シタール)
スペースDJリョウ
 (リズム、ターンテーブル、プログラミング)
フゾノ・アキ(現=芙苑晶)
 (キーボード、シンセサイザー、テルミン)
市川カヲル
 (サックス、ウィンドコントローラー、ベースシンセサイザー)

により、ロンドンで 結成。
同年帰国後、すぐに日本でのイリーガル・レイヴをおこなったのを出発点とし、以後、日本とヨーロッパを往来しながら内外で数々のイリーガル・レイヴ・パーティを挙行、伝説を創り上げた。

倉庫や廃墟のビル、野外スペースなどで行われる彼らのレイヴは、基本的にすべて、シークレット・パーティとして、おもに場所や日時はメディアに公表されず、特定の人たちだけが特定の方法で参加することができた。

こうしたいわゆる「イリーガル・レイヴ」において、おそらく日本で最初のバンド(世界初の説もあり)ともいわれる彼らは、その独特なレイヴ・スタイルから「レイヴのドアーズ」「テクノ・ドアーズ」などの異名でも知られ、一部に熱狂的ファンを持った。

アシッド・ハウスの東洋における第一人者であるのみならず、こうしたイリーガル・レイヴに特化したバンドとしては、今でさえおよそ世界にも稀な、いまだにフォロワーの現れない、ワン・アンド・オンリーなグループであると言えるだろう。

しかも、彼らのレイヴ自体も、ふつうのパーティとは違っていて、一種の古代宗教の儀式にも似た「秘儀としてのレイヴ」というテーマを持った、特異な「暗黒のバンド」だった。

そこではダンサーである田嶋エリサが つねに一種の生贄のような存在=巫女として立ち現れ、司祭である他の三人のミュージシャンたちの奏でる呪術的なダンス・ミュージック=トランス/アシッド・ハウスによって、生と死の儀式を執り行うというコンセプトが秘められていた。

いまではほとんど伝説的な、田嶋エリサが踊りながら最後は裸になり、鶏を殺してその生き血を浴びるなどのパフォーマンスがそれを象徴している。彼らは当時その隠された意味をみずからとくに釈明しなかったものの、その異様なステージの空気に反応したファンたちも、半裸になって踊り始めるなど、伝説は数多い。

クラブ等での屋内スペースでのツアー活動を停止した92年以後、実質的にレコーディング・バンドとなった彼らは、95-97年、メンバーの相次ぐ死により、合計6枚のアルバムを遺して、惜しまれながら解散するが、解散後も依然として熱烈なファンを持ち、カリスマ的な人気を保持するカルト・グループである。

そしてまた、彼らは、あらゆる意味において、アンダーグラウンドの精神を徹頭徹尾貫いたという点で日本音楽史上にも稀有なグループでもあった。

そんな彼らの先駆性はイリーガル・レイヴにとどまらず、皆で内外にコミューンを形成、国家内国家を宣言したり、のちにはマスコミ拒否のバンドとして逆に一部でカリスマ的に知られたりもした。
この点で、反体制のリーダー、サブカルチャー・リーダー的な評価も高く、90年代における60/70年代ブームの先駆的存在でもあり、またのちに誕生した「ケミカル世代」とか「ネオ・ヒッピー」「テクノ・ヒッピー」といった言葉とその日本における流行も、彼らのライフスタイルから生まれたとも言われている。

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