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グループ・プロフィール(雑誌記事より転載) |
| (※このページは、当時刊行されていたミニコミ誌に発表されたファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの紹介記事より、著作権所有者の許可を得て転載させていただいた文章をもとに、私たちサイト・スタッフがウェブ用にグラフィック・レイアウトを施して再構成、一部加筆・校正をしたものです。) |
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ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット
( Far East Acid House Quartet )
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「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット( Far East Acid House Quartet )。サイケデリック・バンド「淫心」を母胎として、セカンド・サマー・オブ・ラブとも呼ばれる1988年の夏、ロンドンで結成されたグループで、ダンサー、DJ、キーボード、ウィンドというユニークな編成でアヴァンギャルドなダンス・ミュージックをクリエイトする四人組だ。
関西とロンドンを拠点に、おもに日本とヨーロッパのアンダーグラウンド・シーンに出没する彼らのルーツはなんと、ドアーズとピンク・フロイド。今どきの若者を中心に秘かな1960年代ブームが起きていると言われるが、彼らこそそのムーブメントの筆頭としてカリスマ的人気を誇るバンドなのだ。
最初はわずか50人ほどの客を相手に「レイヴ」と呼ばれるゲリラ的野外パーティ(彼らはライブのことをこう呼ぶ)をやっていた彼らも、ここ数年で十代、二十代を中心に熱狂的ファンが急増。今では日本各地でライブをやるたび軽く300人から500人は集まるという。これまでメジャーの音楽業界とは一切無縁で来たが、ついに今年、日本の某大手レコード会社からお誘いがあった。しかし面談の結果「話が合わないし、興味もない」とアッサリ断ってしまったという彼らは、あくまでもアンダーグラウンドの精神に徹した超・硬派バンドなのだ。
彼らのユニークさは、単にその音楽やスタイルだけにとどまらない。四人四様に、実に個性的な若者たちなのだ。それも単に奇をてらうというのではなく、音とダンスを通して真のサイケデリック・アートを求めると宣言する彼らは、その出自やライフスタイルもそれぞれに一風変わっていて、一筋縄ではゆかないものだ。 |
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田嶋エリサ |
| 元・暴走族くずれ にして、いまも現役のナナハン・ライダーである、ダンサーの田嶋エリサは放浪と読書を愛するレイヴ・ヒッピー娘。日本とポルトガル系フランスの混血という彼女は、なるほどエスニックな雰囲気も漂う美女ではあるが、なんと十代に女子少年院に入っていたというハードな経験を持つ反面、レコーディングではパーカッションやあの難しいシタールも見事に演奏する器用な手先の持ち主。インドを旅したりチベットで密教を学んだり、さらに植物と会話できるともいう神秘的な顔も魅力だ。 |
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スペースDJリョウ |
| ハウス・ミュージックにとって命ともいえるリズム・パートのクリエイターであるスペースDJリョウは、かつてパンクバンドのドラマーなども経験、のちにニューヨークでDJ修行を積んだ実力派で、両腕の刺青が印象的。膨大なレコード・コレクションとテクノ/ハウス音楽の知識にはNYの巨匠ラリー・レヴァンも舌を巻いたというが、しかしステージではステテコに下駄、上半身裸でDJ をしたり、得意の大阪弁で客を罵倒したり卑語猥語をマイクで叫んで客席をわかせる名人芸的エンターテイナーでもある。 |
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芙苑晶 |
| バンドの音楽面をオーガナイズするリーダーでキーボードのフゾノ・アキ(芙苑晶)は、幼少からクラシック音楽の英才教育を受けたが、のちに突然日本を飛び出し世界各地に放浪の旅をしたという数奇な過去を持つ、エキセントリックな雰囲気に憂い顔の美少年。独創性溢れるソロアルバムも発表しているシンセサイザーの作曲家でもあり、トレードマークの腰までのばした長髪にメキシコのケープを着てキーボードを弾く姿は、クラブのリック・ウェイクマンとの異名で熱狂的ファンを持つ。 |
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市川カヲル |
| このグループのリード・プレイヤーで、メロディ・パートを担当するヴォーカル的な役目はウィンド奏者の市川カヲル。どこか孤独な野良猫を思わせるしなやかなスタイルに、両性具有的な小悪魔的アンバランスさが宿り、それかあらずか女性ファンも多いという彼女はしかし、他の三人にも負けず劣らずの風変わり。少女時代から寺山修司の「書を捨てよ町へ出よう」を真に受けて、何度となく家出や放浪を繰り返し、十八の春にようやく大阪に落ち着いた彼女は、60年代風フリージャズ・トリオからハウスへ転身した変わり種だ。 |
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いまどきの若者の没個性を嘆く、全共闘世代の大人達よ、小難しい理屈は言わなくっても、こんなクールなレジスタンス精神を持ち続けてる若い連中だってちゃんといるんですぜ。いかがですか?」
(Osaka Avant-Youth, 1992年3月増刊号 - より)
(※文章の引用・転載を許可していただきました元・編集長/ライターの北浦大介さんに感謝いたします。) |
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