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発言より >
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「まだ十代で、クラシックを勉強していた頃、僕が思っていたことは二つあった。一つは、クラシックや現代音楽は洗練の極みに達し、もうこれ以上のことはできない、ということ。もう一つは、あの狭っ苦しい世界から逃げ出したいって思っていたことだ。僕はまだ若かったのに、100才の老人みたいな気持ちになっていて、息切れしていたんだよ」
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「その頃僕が興味を持っていたのは、原始音楽、古代音楽などだった。それで日本を出て、アメリカで幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)のようなバンドをやったわけだ」
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「Far East も、その延長線上にあり、なおかつ音楽というワクをはみ出した、すごいバンドだ。 Far East と比較できるバンドは、僕の知る限り世界に一つもない。なぜなら Far East はイリーガル・レイヴをやってきたからだ。ああいうプリミティブなレイヴというのは、ある意味で音楽のほんとうの理想とする形、つまり、音楽と踊りと呪術が一体となったものだからだ」
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「僕が他の三人と違ったのは、僕だけがプロの作曲家だったことだ。だから厳密な意味では、 Far East の他の三人は、誰もちゃんと曲が作れなかったが、音楽はよくわかっていた。音楽をわかるか、わからないかというのは、ほんとうは音楽教育とは無関係だ」
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「僕は、 Far East においては、人が言うほどそんなに偉くはない。僕は、僕の持っているテクニックを使って、あの三人のやったことを手助けしただけにすぎない。それに、他の三人から教えてもらったこともたくさんあった。そういう意味では、みんな対等にクリエイターだったと言えると思う」
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「僕は、シンセサイザーのことなら何でも知っている。だけど、音楽というのは、やればやるほどわからなくなる。音楽のすべてを知っている人なんて、この世に一人もいない。そういう意味では、みんな素人だと言える。
Far East での曲作りの仕事は、僕にそのことを教えてくれた、貴重な経験だった。音楽の素人だった三人といっしょに曲作りをすることで、僕も変なプライドを捨てて、初心に帰ることを学んだんだ」
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「ある意味で言えば、僕にとっては、作曲というものは、学問と同じなんだ。法悦的に楽しいことで、同時に苦しいことでもある。そして、やれば果てがないこともわかっている。
だからこそ、すでにわかっていること、過去の人がやったことを、同じようになぞっても意味がない。まだわかっていないこと、未知の世界を探究する学者は、その時はメシが食えないことのほうが多いが、それでも後から来る新しい世代に、何かを残すことはできる」
(インタビューより)