Far East Acid House Quartet - ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット
 
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット( Far East Acid House Quartet )ファンサイト/資料館
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「ファー・イースト」作曲とレコーディング

ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット ( Far East Acid House Quartet )

 

 

 

芙苑晶

  • 芙苑晶こそファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットを代表するコンポーザーであることは、衆目の一致するところだろう。バンドのほとんどの曲のアレンジを手がけていただけではなく、作曲した作品の数も飛び抜けて多い。

  • アルバムによっては、八割近くまで彼のオリジナル曲が作曲クレジットを占めていた。ピュアな音楽ファンの中には、「音楽的には芙苑晶で持っていたバンド」とまで評する人までいる。
    また、他のメンバーが「作曲した」メロディを譜面に起こし、コードをつけたり、アレンジする役も、ほとんど彼がやっていた。

  • さらに、のちに「ファー・イースト」の代表曲と見なされるようになった曲(つまり人気の高かった曲)−−−『Comet(彗星)』(アルバム未収録)、『Ibiza Breakfast(イビザで朝食を)』『Psychedelic Mother Maria On The Beach(海辺の聖母マリア)』等々は、ほとんど芙苑晶のペンによる作品である。荒々しい情熱を感じさせる「ファー・イースト」作品に、芙苑晶の幻想的で広がりのあるメロディが意外にマッチしていた。

  • また、「ファー・イースト」初期のライブでは、オリジナル曲の数が足りなかったため、芙苑晶のソロ作品(彼のソロ・アルバムに収録されていた)が付け加えられて演奏されることもあった。『燐光(Phosphorescence)』『荒廃(Ruins)』などのアルバムから選ばれた、トランス・テクノ・チューンである。

  • ちなみに、のちにクラブ・ヒットとなった「Ruins 2」は、田嶋エリサがアムステルダムのファッションショーにモデルとして出演した時に、彼女のパートのために芙苑晶が書き下ろしたトランス・ナンバーであり、「ファー・イースト」もステージでよく演奏していた。

  • 今挙げたのは一例であり、他にもいくつか、「ファー・イースト」の音楽と芙苑晶のソロ作品とが相互に影響を与え合っている例が見られる。というのも、ファンはご存知のように、芙苑晶だけがプロの「作曲家」であり、バンドと並行してソロ活動をやっていた(と言うよりも、ソロ活動と並行してバンドをやっていた、というほうが正しいだろう)のは彼一人だったからだ。

  • 芙苑晶が Far East のレコーディングでよく使っていた機材は、他のメンバーと同じくEMS VCS3、TB-303などの他に、 Roland Jupiter-6、SH-5、プロフェット5、PPG Wave、Moog SONIC 6などがあった。他にも鍵盤楽器としては、ピアノ、ハープシコード、ファルフィッサ・オルガンなどがあったが、オランダと日本にあった自宅にはさらに数え切れないほどの膨大なキーボードがあった。
  • ちなみに、メンバー公認の最後のアルバム『太陽黒点(Sunspot)』(1997)では、本物のパイプ・オルガンを使ったり、合唱を指揮して入れたりしてレコーディングし、荘厳で宗教的なムードを出すのに成功している。
 
  • 発言より >

  • 「まだ十代で、クラシックを勉強していた頃、僕が思っていたことは二つあった。一つは、クラシックや現代音楽は洗練の極みに達し、もうこれ以上のことはできない、ということ。もう一つは、あの狭っ苦しい世界から逃げ出したいって思っていたことだ。僕はまだ若かったのに、100才の老人みたいな気持ちになっていて、息切れしていたんだよ」

  • 「その頃僕が興味を持っていたのは、原始音楽、古代音楽などだった。それで日本を出て、アメリカで幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)のようなバンドをやったわけだ」

  • 「Far East も、その延長線上にあり、なおかつ音楽というワクをはみ出した、すごいバンドだ。 Far East と比較できるバンドは、僕の知る限り世界に一つもない。なぜなら Far East はイリーガル・レイヴをやってきたからだ。ああいうプリミティブなレイヴというのは、ある意味で音楽のほんとうの理想とする形、つまり、音楽と踊りと呪術が一体となったものだからだ」

  • 「僕が他の三人と違ったのは、僕だけがプロの作曲家だったことだ。だから厳密な意味では、 Far East の他の三人は、誰もちゃんと曲が作れなかったが、音楽はよくわかっていた。音楽をわかるか、わからないかというのは、ほんとうは音楽教育とは無関係だ」

  • 「僕は、 Far East においては、人が言うほどそんなに偉くはない。僕は、僕の持っているテクニックを使って、あの三人のやったことを手助けしただけにすぎない。それに、他の三人から教えてもらったこともたくさんあった。そういう意味では、みんな対等にクリエイターだったと言えると思う」

  • 「僕は、シンセサイザーのことなら何でも知っている。だけど、音楽というのは、やればやるほどわからなくなる。音楽のすべてを知っている人なんて、この世に一人もいない。そういう意味では、みんな素人だと言える。
     Far East での曲作りの仕事は、僕にそのことを教えてくれた、貴重な経験だった。音楽の素人だった三人といっしょに曲作りをすることで、僕も変なプライドを捨てて、初心に帰ることを学んだんだ」

  • 「ある意味で言えば、僕にとっては、作曲というものは、学問と同じなんだ。法悦的に楽しいことで、同時に苦しいことでもある。そして、やれば果てがないこともわかっている。
    だからこそ、すでにわかっていること、過去の人がやったことを、同じようになぞっても意味がない。まだわかっていないこと、未知の世界を探究する学者は、その時はメシが食えないことのほうが多いが、それでも後から来る新しい世代に、何かを残すことはできる」

    (インタビューより)

 
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