「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」の世界
●アシッド(LSD)体験からの影響 |
|
「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」のメンバーたちに共通するものはいくつかあったが、そのうちの一つは、全員 LSD 体験ををしていたことだろう。彼らの初期である80年代後半頃、 Acid Head Organization Japan Branch (LSD常習者協会日本支部)という人を食った名前のバンドがクラブに出演していたことがあったが、これはまぎれもなく彼ら「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」のことだった。
(しかもこの名前は、元々はニューヨークで芙苑晶が とやっていたバンド、「幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)」の変名の一つ「 Acid Head Organization 」を流用したものだ!!) |
| |
| そんな彼らのアシッド体験はそのまま、最初のアルバムにして名盤『十億の神経の針(A Billion Nerve Needles)』に投影されている。このころ(1989年だ!)ロンドンではアシッド・ハウスが爆発的に流行っていたが、日本では(すくなくとも筆者の知る限り)そんな言葉を知っている人さえいない、そんな状況だった。おそらく日本人アーティストでは、バンドではファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットだけ、ソロでは芙苑晶だけが、この新しいジャンルに注目していたはずだった。 |
| |
その後、93-95年あたりにかけて、アシッド・ハウスの手法を発展させたサイケデリック・トランス・テクノが一世を風靡するが、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの音楽のあの深みに達したバンドはいなかったように思うし、今もいないのではないだろうか。
それはもしかすると、芸術的才能を別とすると、「体験の深み」が違うのではないかと思われる。というのも、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットは、アシッド体験に対して、一種の芸術行為と見なして本気で取り組んでいたふしがあった。芙苑晶からの影響であったにせよ、彼らがアンリ・ミショーやボードレールの詩の世界に傾倒していたのは事実だし、そういう意味で彼らは、本物のアシッド・バンドと言えるのではないかと思う。そしてそういうバンドは、おそらく日本にはほとんどいなかったはずだ。 |
| |
|
| |
(野崎・土井) |
| |
| 「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの世界」トップに戻る |