| 「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」の世界
●日本のアモン・デュール? |
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ヒッピーの項目でも述べたが、「ファー・イースト」がコミューン・グループ「淫心」の一部であったのは、ファンなら知らない人はない有名な話である。この特異なコミューン・スタイルのバンドというのは日本に珍しかった。60-70年代にはあったようだが、80-90年代にはコミューン思想というものがある意味オールドファッションなものとなってしまい、ありていに言えば「ダサい」ものと見なされていたからかもしれない。
だが「ファー・イースト」のメンバーたちはそれをやった、それも真っ向から堂々とコミューン・バンドであることを宣言していた。私(野崎ニーナ)は最初それを聞いたとき笑ってしまったものだった。今さら何を、という気持ちがあった。だけど彼らは大まじめでそんなことを考え、しかも実行に移した。 |
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| このコミューン生活は実際のところ、89年頃から始まり、断続的に92年頃まで続けられたようだ。私は実際にその中に少し入って暮らさせてもらったこともあった。いろいろ問題があったし、コミューンというもの自体に今でも賛否両論はあるだろうが、しかしとにかく彼らはそれをやったのだ。私たちの世代、つまり日本では新人類などと(軽薄な言い方で、私はこの言い方が大嫌いだが、世間の慣習にならって書く)いわれる世代以下でそれをやった人はほとんどいなかっただろう。それだけでもある意味、評価されてしかるべきである。好き嫌いや是非は脇におくとしてもだ。 |
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| 「ファー・イースト」はこういったライフスタイルから「日本のアモン・デュール」とか「テクノ・アモン・デュール」といったような言われ方をされていたことがあった。「ファー・イースト」ファンの子たちの多くは、テクノ・リスナーやクラバーであってクラウトロックなど知らない人が多かったので、彼らのなかには「ファー・イースト」を通してアモン・デュールを知った人も多かったようだ。 |
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| 果たして「ファー・イースト」のメンバーたちはこの異名をどう捉えていたのだろうか?唯一手元に残っているメンバーのインタビューでは、田嶋エリサが「うれしい。だって好きだから」と答えているのが見られる限りで、他の三人がどう思っていたかは不明だ。しかし、ロックとテクノというジャンルの差はあるにせよ、そのサイケデリックな音楽性、実際にドラッグ体験と関連した曲作りや、コミューン・スタイルのバンドであるという点、これら三つの大きな特徴は、まさに「ファー・イースト」=「日本のアモン・デュール」と呼んでも差し支えないと思えるだけのものがあると思う。 |
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(野崎) |
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