「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」の世界
●バンド名の由来 |
|
「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」・・・この名前にはとくに秘匿性や、裏の意味はない。文字通り、極東の( Far East )アシッド・ハウスの四人組( Acid House Quartet )だから、 Far East Acid House Quartet。 ただそれだけの名前だ。
だがこのバンド名がどうして付けられたのかはあまり知られていない。いきさつは、次のようである。 |
| |
1988年の6月、ロンドンに渡った彼らは、まだ当時「淫心」という名前だった。この名前は元々、芙苑晶とマダム呪々がやっていたユニットの名前がそのまま流用されたもので、彼ら自身はまだ名前を決定しかねていたふしがあったらしい。
そしてこの時、おりしもロンドンではアシッド・ハウスが大流行し、この新しいスタイルの電子音楽と、それにリンクしたファッションやレイヴ・イヴェントなどが開催され、60年代風のサブカルチャーのリバイバルが起きつつあった。こういったスタイルはこの四人が考えていたバンドのイメージに奇しくもピッタリで、彼らはアシッド・ハウスのスタイルを中心に据えたバンドとして再出発することになる。そしてこのとき彼らはバンド名も変えようと考えたのだった。
以下は、田嶋エリサがのちに彼女の自伝的エッセイに記したものを参考にしたもので、バンド名が生まれた瞬間の、まさに歴史的なエピソードである。 |
|
バンド名についてはひともめあってなかなか決まらなかった。ロンドンの片隅にあった彼らの友人・デヴィッド・ローレンツの広い家に寝泊まりしながら、すでにファースト・アルバム(まだ題名は決まっていなかったが、これはのちに『十億の神経の針』として発表される作品になる)で、レコーディングを始めていた彼らメンバー四人が、1988年7月20日の夜のこと、バンド名をめぐってああでもない・こうでもないと言っていたとき、芙苑晶がこんな案を出した。
「ふつうのポップスのバンドと逆にすればいいんだよ」
市川カヲルがどういう意味?と訊くと彼は答えた。
「ふつうのポップやロックのバンドはさ、できるだけ短い名前で、深いニュアンスを持たせようとするだろう? ドアーズでも、ビートルズでも、成功したバンドは名前が短くて、その名前に複雑な意味が込められていたりするだろう?
僕らはその逆を行くんだ。できるだけ長い名前にするのさ、覚えられないくらいの。でも、意味はメチャクチャ単純で、読んだ通りなんだ」
この「逆転の発想」とも言える奇抜なアイディアに、他の三人は感心した。
というのも、それまでは皆、芙苑晶が言った通り、「できるだけ短くて意味深な名前」に辿り着こうとして必死になっていたのだ。 |
| |
芙苑晶が出したこの案に、それがいい、と真っ先に言ったのは田嶋エリサだった。彼女は言った。
「60年代末のサイケデリック・バンドみたいな名前はどう? あの頃の西海岸のロックバンドってそういう名前多いよ」
彼女は例をいくつか挙げた。このジャンルに一番詳しく、傾倒していたのは彼女だったのだ。
皆はこのアイディアがすっかり気に入ってしまった。60年代へのオマージュ的な意味合いも兼ねているし、また、これは出発した時点で、アンチ・ポップ、アンチ・コマーシャリズムというテーゼをすでに持っていた彼らにぴったりの考え方でもあった。
そして彼らは思いつく単語を次々に紙に書き留めては、それを組み合わせたり、順序を変えたりして、「できるだけ長ったらしくて、意味は読んだままのバンド名」を作ろうと試み始めた。 |
| |
この単語の組み合わせをしている時、「アシッド・ハウスという名前をどこかに入れよう」と提案したのはスペースDJリョウだった。
「アシッド・ハウスなんて名前の付いたバンドはないはずだ。俺たちが世界初だよ、きっと。いや、最初で最後かもしれないな」とリョウは満足げに笑っていた。
「四人組だからクワルテットだよ」というアイディアは市川カヲルが出した。彼女は元々ジャズをやっていて、MJQのファンだった。「Quartet なんて、なんだか古くさくって、ダサくって、いまどき誰も見向きもしなそうな名前でしょ?」
「日本人だってことを強調してやろうよ。だってポップスの世界はほとんど西洋人ばかりでしょ?」これは田嶋エリサのアイディアだった。
そこで最初は Japan Acid House Quartet というアイディアもあったが、リョウが反対した。彼は名前こそ日本人だったが、在日韓国人だったからだ。
そしてその意味では、田嶋エリサも半分日本人だが、半分はフランスの血が混じっていた。
「日本ってパンクでクレイジーな国ってイメージもあったから、私は悪くないと思ったんだけど」と田嶋エリサは言った。
「日本」に反対したのはもう一人いた。芙苑晶だった。
「俺は日本なんか絶対に背負いたくないね。バンド名に国の名前なんかつけるのなら、俺は今すぐやめさせてもらう」とまで彼は言った。彼は「団体」が何より嫌いな男だった。
ふだんは物静かで穏やかな感じの芙苑晶も、こういうことになると容赦なく頑固で反抗的な一面をあらわにして、他の三人を驚かせた。
バンドの作曲家である彼にやめられては困ると三人は思った。そこでJapan はとりやめになったものの、 東洋人によるバンドということをあえて強調したいという田嶋エリサのアイディア自体は、皆も賛成だった。
そこで、意味をぼかすために、 Japan の代わりに Far East というやや曖昧な言葉が置かれた。 この言葉はジャパンよりもずっとロマンティックに響いたし、「それは、たんに世界地図上での地理的なものを示すだけで、政治的な意味合いがないのがよかったんだ」と芙苑晶はあとになって述懐している。 |
| |
四人は紙の上に書かれた文字を眺めた。 Far East Acid House Quartet 。カヲルが口に出してそれを読んだ。「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」
「カッコいいんじゃないかな?」と田嶋エリサが笑った。
「デタラメさがいいな」とスペースDJリョウが相づちを入れた。
芙苑晶がすかさずまとめた。
「な、長ったらしくて無意味なほうがカッコいいだろ?」
このとき初めて四人の意志が一致し、バンド名が決まった。 |
|
| |
このバンドはのちに、漢字での表記も使用するようになった。「わたしたちは最初からインターナショナルを意識したバンドだったからだ」と田嶋エリサは言った。彼女によれば、英語でバンド名をつけたのはバンドがロンドンで結成されたからにすぎない。彼らは当時、ヨーロッパに滞在し、あるいはおそらく住み着いてそのまま活動を続けるつもりだったのだ。
日本に戻ってきた時、彼らは、日本のバンドの名前がどれも英語ばかりなのに嘘ざむい思いがしたという。
「しかもほとんどのバンドがやっていた音楽は、日本国内向けに作られた歌謡曲であり、そのようなバンドたちの名前がどれもこれも英語だというのは、植民地文化としか私たちには映らなかった」と田嶋エリサは書いている。
「そのように感じていた私たちが日本ではマイナー扱いで、ヨーロッパのほうが受け入れてくれたというのも皮肉だった。だがそれは私たちの問題というよりは、日本という国が落ち込んでしまった奇妙な偏差そのものを表していると私は思った」と、彼女は死の直前に発表されたエッセイに書いている。
そこで彼らは、のちに、アジア諸国向けに漢字のネーミングも考えた。これが「極東幻覚的電子舞踏音楽四重奏団」という名である。
「僕らは当時、中国にも進出する気でいた。半分冗談だけど、半分本気だったんだよ」芙苑晶はこう言った。「今思うとバカみたいかもしれないが、それでも僕らのこの発想は斬新で、進んでいたはずだ。あれからずいぶん時間が経っているけど、バンド名一つ取っても、僕ら以後、こういう考えをするバンドが日本にいないのは、むしろ不思議に思える」 |
| |
(上埜邦彦・ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット「無法的熱狂祭」ライナーノートより) |
| |
| 「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの世界」トップに戻る |