Far East Acid House Quartet - ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット
 
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット( Far East Acid House Quartet )ファンサイト/資料館
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「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」の世界

●イリーガル・レイヴに徹した幻のハウス・バンド

 

 

 

  「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」を特徴づける大きな個性の一つは、彼らの活動スタイルである、アンダーグラウンド・クラブ・シーンとリンクしたライフスタイル、音楽のスタイル、そしてその活動初期におこなっていたライブのスタイルだろう。とくに、彼らのライブは印象に残っているという人も多いに違いない。
 とくに、「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」を語る上でのキーワードとして欠かせないのは「イリーガル・レイヴ」であろう。彼らはこのイリーガル・レイヴ・パーティを日本で最初にやっていたバンドではないかというのは、割合よく言われている話である。
 田嶋エリサの有名な発言に「日本で最初にイリーガル・レイヴやったのは私たち」というものがあるが、これは誇張でもなんでもなくシンプルな事実であると私も思うし、当時の「ファー・イースト」のファンたちを含む、多くの人々が認めていることだ。
 
 テクノ/ハウスがポピュラー化してきた1990年代半ばから、合法化されたレイヴ・パーティも増えてきたが、その黎明期の1980年代後半〜90年代初期にかけては、レイヴ・パーティといえばそもそも、イリーガル・レイヴがむしろ当たり前だった。そして何といっても当時の、本物の筋金入りのレイヴァーたちに好まれたのはこのイリーガル・レイヴだった。
 警察の目を避けるため、イベント直前まで会場の場所は告知されない。どうにかしてチケットを手に入れた人だけに合流地点が知らされ、その場所へ出かけて初めて、ほんとうの「会場」がわかるという二重の仕掛けになっている。用心深い主催者は、このミーティング・ポイントを二重三重に設定しているケースさえあった。



 こうして人目を避けながら車で辿り着くのは、田舎のほうの広場や農場などだ。ものにもよるが、ロンドンやアムステルダムでおこなわれていたパーティでは、かなり豪華なパーティもあった。ただ、私たち黎明期のレイヴァーたちが日本で知っていたそれは、もう少し規模が小さく、急場しのぎのテントを設置しただけの会場に、これまた急場凌ぎのDJ ブースとアンプが設置されているだけのもの。「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」が出演(そしてしばしば彼ら自身が主催)するレイヴ・パーティも、そういった手作りのイリーガル・レイヴだった。
 
 それでも関係者たちの熱意で、「レイヴ」のためのさまざまな大道具・小道具は用意されていた。とくにレーザー・ビームは必需品だった。よく見かけたのは、フラワーと呼ばれるアナログ版バリ・ライトとでも呼ぶべきもので、「ファー・イースト」のレイヴ・パーティにももっぱらこれが使われていたと思う。
 そしてもう一つ欠かせないもの、それはドラッグだった。これに関しては、客たちが自分たちの自己責任において互いに持ち寄ってくるもので、つまりホームパーティで言えばオヤツのようなものである。レイヴ・パーティでポピュラーだったのはエクスタシー(Eともいう)やアシッド(LSD)などである。とくに、ハッピー・ドラッグともいわれた「E」は、90年代以降はレイヴとの関連抜きには語れないほどのものになっている。
 
「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」の音楽とパフォーマンスは、そもそもこうしたイリーガル・レイヴ・パーティと密着して生まれてきたものだった。現在日本各地でおこなわれている大規模かつコマーシャルなトランス・テクノ・パーティ(もちろん合法!)に親しんでいる今の世代には想像もつかないだろうが、「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」はこのようなイリーガル・レイヴから生まれ、そのあともイリーガル・レイヴに執着し、イリーガル・レイヴに徹した、不世出のカルト・グループだった。
 

 面白いことに、彼らがこういうイリーガル・レイヴを秘かに始めた80年代末期、彼らはまさに異端のバンドという目で見られていたものだった(むろん今でもある点でそうだろう)が、その後、90年代に入ってまもなく、「レイヴ」が社会現象としてマスメディアにもしばしば採り上げられ、片やクラブが商業化していく過程のなかで、「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」は、しばしばマスメディアの人たちに声をかけられることがあった。
 私自身も居合わせたからその状況を目撃している。
 彼らのユニーク性はここにあった。彼らは、メジャーになることより、自分たちの個人的な楽しみを優先させていた。
「ファー・イースト」のメンバーたちが、のちに長野県(またはオランダにおいてはイーダム)の田舎に一軒家を借り、コミューンを営んでいたという話は有名だが、実は彼らが長野に移り住んだ理由はこのイリーガル・レイヴのためであったとも言われる。

 
 「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」がポピュラーなバンドとなりえなかった大きな理由はここにあった。そしてまたそれと背中合わせに、かれらがある時代、ある人々の間で暗黒のカリスマ・スター的人気を誇ったのも、同じ理由によるものであった。
 しかし私にはこういった点で、「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」こそ本物のレイヴ・バンドであったように思えてならない。
 



 
 そのようなイリーガル・レイヴは、どこへ行ってしまったのだろうか。時代の潮流とともに、すべて消え去ってしまったのか?
 
(野崎)
 
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