- ここでは、野崎ニーナの詩集を簡単に紹介しています。
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- 野崎ニーナが過去に刊行した四冊の詩集は、ほとんどが少部数で自費出版された個人的な私家版詩集ばかりであり、現在はいずれも絶版になっています。
中古市場での入手は、たいへん困難と言われています。
しかし彼女の熱心なファンは意外に多く、彼女がほとんど詩を書くのをやめてしまって以後、「詩集を再版してほしい」という手紙等が寄せられるようになっていました。
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- 現在のところ、再版の予定はないそうですが、今回、公式サイトをアップするにあたり、野崎ニーナの1983〜1997年に発表した詩の中から、とくに人気の高かったものや、代表作と思われるようなものを、このサイトにおいて、アップロードしてあります。
興味のお持ちの方はご一読下さい。
野崎ニーナ・幻想詩集
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メスカリンやLSDなど、ヨーロッパ滞在中のサイケデリック体験をもとに描いた、幻想の世界。
このような手法から当然、フランスの詩人・アンリ・ミショーの方法を思い出す人もいるだろう。
だが、野崎ニーナが描いた幻覚の世界は、ミショーの科学者的・記録文学的なそれとはまた違っている。
メスカリンは幼少の記憶を蘇らせるというが、彼女はそれらによって、一種の幼児退行現象を起こし、封印された少女時代を蘇らせてしまうのだ。
このことはのちの野崎ニーナの詩のモティーフとなってゆく。つまり、失われた少女期のユートピアの再現である。
また、この体験が、元々文学少女で、秘かに詩を書いてはいたが、内気で社会的なことに無関心だったせいで、詩を人前に発表する気など毛頭なかったという彼女を変えてしまう。
また、絵も、見るのは好きでも、それで表現をするつもりはなかったという彼女の、画家としての開眼にもなった。
彼女はそれまで、自分を芸術家として意識したことはほとんどなかったらしい。
だが、ここに描かれた鮮烈な世界は独特なものがあり、彼女の当時から友人だった、十代の芙苑晶(ミュージシャン、作曲家)にも影響を与えており、彼のデビューまもない頃の作品は、野崎ニーナのこの詩の世界からの影響がみられる。 |
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実験的で芸術的評価が高いのは、第1作目の『メスカリンもしくは光の伽藍』(1983)だろうが、人気の高いのはむしろ、第2/第3/第4詩集のほうである。とくに、野崎ニーナ自身のヌードを表紙にあしらった、この第二作目『裸のニーナ』は、今でも若い人たちに人気がある。
それはなぜだろうか。とくに、第2/第3詩集である、『裸のニーナ』『灰と太陽の共和国』には、たしかに、処女詩集にあった実験的なレトリックの積み上げによる詩作の試みはなくなって、とても素朴な、口語的スタイルになっている。
言ってみれば、一見、どこかの中学生か高校生の少女(それも、とても頭がよくて、しかも不良少女だろうと思わせるような …… )が書きなぐったような、どこにでもある平凡な言い回しや、俗っぽい言葉(「学校なんてゲロだわ、世の中なんてクソだわ」というような)の積み重ねによって、読む者をズキリとさせるような効果を出している。
いや、効果なんて、彼女は考えていなかったに違いない。同時に不良少女だった彼女自身が書いていた、彼女に言わせれば「遺書としての詩」あるいは、「詩とも言えないような書き殴り」だからこそ、若者の共感を呼ぶのであろう。
言葉を変えていえば、彼女こそ根っからの詩人と言えるような人なのだ。
「遺書としての詩集」を標榜した作品だけに、この詩集には死の匂いが濃厚である。しかしその死の匂いとは、そのまま青春の匂いに直結するものであろう。野崎ニーナが、現代には稀有な青春の彷徨を描く詩人と言われるのは、彼女が「生と死」をつねに見つめ、赤裸々に表現してきた人だからにちがいない。
また、野崎ニーナ・ファンならばたいていご存知の、この詩集にまつわる有名なエピソードのひとつが、なんと、この詩集の題名をそのまま頂戴したロック・バンドが誕生していることだ。
その名も「裸のニーナ」。当時まだ学生だった、マダム呪々(ギター、ヴォーカル)、芙苑晶(キーボード、シンセサイザー)、上埜邦彦(ベース)、荒井雪(ギター)、三珠アケミ(ドラムス)という五人編成で、グレイトフル・デッドあたりを思わせるヘビーな演奏が特徴のロックバンドだった。
野崎ニーナは、このバンドメンバーではなかったものの、詩を提供、ほとんどの作詞にクレジットされたほか、バンドが京大西部講堂に出演したときは、彼らのライブに飛び入り出演、ほんとうに裸で登場し、客を驚かせたこともあった。 |
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当時再燃しつつあったネオ・ヒッピーという時代思潮の雰囲気をいち早く捉え、彼女なりの表現を試みた第三詩集。
彼女が当時、友人たちと構成した、「レイヴ・コミューン」と呼ばれる、レイヴ(ダンス・ミュージックを流し、ドラッグを使用して若者たちが踊るパーティ)思想に基づく、仮想の国家内国家の名前、それが「灰と太陽の共和国」で、野崎ニーナが付けたものである。
この詩集の題名は、その仮想の国家、心の中にある国家の名前がつけられ、その時代に、その人々とのかかわりの中で書かれた詩が収められている。
そこには、当時一部で、「ネオ・ヒッピーの女王」とも呼ばれた野崎ニーナが、いくらか成長し、落ち着きのある大人の女性として世界を見ているようすが伝わってくる。
そういった背景を知らずに読んでも、ここにある世界は、ピュアな若者の感性で書かれたものであるには違いない。
そういったこともあってこれは、野崎ニーナの「ネオ・ヒッピー詩人」のニックネームとそのイメージを決定づけた作品でもある。
また、この詩集と、次の、『盲いた蝶たちの歌』(1997)では、処女作にあったメスカリン体験の描写のような幻覚性はそれほど見られなくなり、むしろ純粋な、彼女の読者が一番野崎ニーナらしいと思っているであろうような、ストレートで奔放、かつ繊細な、孤独なヒッピーの少女の世界を思わせる詩が増えてくる。
それは、彼女の失われた幼年期・少女時代を思わせる、情熱的で、投げやりで、しかし切ないものだが、実際にこれらは、野崎ニーナが秘かに十代の頃書き溜めていた詩を、ほとんど校正もせずにそのまま載せたものが多くあると言われている。
このサイトにアップしている、彼女の代表作といわれる詩の一群も、むしろ、この第2/第3/第4詩集から生まれている。 |
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第4作目にして、最も最新の詩集(98年以後、彼女は詩集を発行していない)は、それまでの野崎ニーナの世界を統合し、なおかつ洗練したような、ある種の透明感に溢れている。
それまでの三冊にあった若さ・激しさ・奔放さは、まだここに息づいているものの、やや影を潜め、ある種の、宗教的とも言えそうな崇高な雰囲気が漂っている。
そういった点で、完成度とか総合性という意味では、この詩集が最高ということになるのかもしれない。それゆえにか、やはりこの詩集は、「最後の作品」という雰囲気が濃厚に漂っている気がするのだ。
事実、彼女は、この詩集を最後に、詩人としての活動を封印してしまう。
「私は詩人をやめます」などと言ったわけではない。ただ、彼女が当時発表したエッセイの中で、彼女は、次のように述べているのだ。
「私は、書きたいことはもう全部書いてしまった。これからは、書くことよりも、私は生きることを選びたいと思う」
「そう言いながら、アフリカへ行ったランボオのようにカッコよく去れたらいいと思ったけれど、私は最近、ある小さな会社に就職した。そして、もう若くはない私は、より静かな生活を望み、それで私なりに、満足しようとしている」
「私が詩を書いていたことなど、誰も知らないような場所で、私はまた生きようとしている。
私は自分を詩人だと思ったことは一度もなかった。それほど不幸でもなかったし、思い上がってもいなかった。ただ、私は自分の青春を、生きたいように生きた。ずいぶん人を傷つけ、自分自身も傷ついたけれど、後悔していない。私は、とても幸せな人間だ」
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- 1998年以後、野崎ニーナは事実上、創作活動をほとんどやめてしまい、現在(2005年10月)に至るまで、ただの一編の詩も発表していない。
「職業としての詩人というものを認めないし、ありえない」「自分自身、詩人などと呼ばれたくもない」と言う彼女の詩は、若い日にしか書けなかった「ほんものの詩」だけが持つ、鮮烈な輝きに溢れている。
原石のような危険な美しさを感じさせるその詩、青春の彷徨、愛と死を描いた彼女の詩の世界は、その後も静かに口コミで広まり、一つの伝説を作りつつある。
野崎ニーナの読者たちは、今もなお、静かに彼女の復活を待ちながら、古びた彼女の若書きの詩集をまた繰り続けているのである。
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