野崎ニーナ Nina Nozaki
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野崎ニーナへ捧ぐ(トリビュート・エッセイ集)

 
 

永遠の美少女・野崎ニーナ

 三珠アケミ
 
 そういえば、私のクラスにも、運がよければ、稀に一人ぐらい、そんな子がいたような気がする。
 色白で、なんだか外人みたいな顔していて、(たぶん)優等生で、だが気難しく、友達なんかいないような子だ。
 クラスのアイドルとかそういうタイプとは程遠い女の子、だって彼女は誰とも打ち解けたことがないのだ。
 
 美少女なのだがアイドルとは程遠く、ただの優等生でもなさそうに見えるのは、
 彼女が生まれながらに「悪」とその秘密を知っている女の子だからだ。
 なんとなく、陰で悪さをしていそうだ。それも、とんでもない悪事を。
 
 野崎ニーナの詩や絵画は、文壇や画壇を遠く離れたところで、つねに若者たち、それもドロップアウトの若者たちに愛されてきた。
 彼女のファンたちが思い描く野崎ニーナは、おそらく、私が考えるのと同様、
 とびきりの不良で、しかも知的で、鮮烈で、大胆で、しかも誰よりも繊細で、傷つきやすく、
 生に絶望し、死に憧れ、夜や犯罪と親しく、そして「女の子ならではの凄味」を持っている、そんな美少女だろう。
 
 「優等生で、だが気難しく、友達なんかいないような子」で
 「なんとなく、陰で悪さをしていそう」「とんでもない悪事を」と、私はいま書いたが、
 これはただのメタファーとかではなく、
 いつだったか、野崎ニーナは少女時代、まさにそれを地でいくような女で、
 学校ではトップクラスの優等生で通っていたが、万引きの常習犯だったと聞いたことがある。
 また、家出を繰り返していたこと、麻薬やシンナー、カツアゲなど、相当な悪さをしていたという逸話が聞こえ、
 それは彼女の詩の世界と、見事に照合してもいる。
 
 嘘かホントかは、私は知らない。詩人の言うことだし、100%信じるわけにはいかないが、
 しかし、案外全部ほんとなのじゃないか、と思う。
 すくなくとも、野崎ニーナには、そう信じてしまうに充分な雰囲気がある。
 そして彼女の詩を読み、絵を見るとき、そこに、妙な凄味をともなった説得力があるのは、
 本人がそういう、危険な匂いのする生を生きてるからじゃないかと思う。
 
 いずれにせよ、問題は、彼女が具体的にどんなことをしてきたか、じゃない。
 彼女がどのような内的経験を通り過ぎてきたかで、それが文学であり、美術であるはずなのだが、
 いまの文学や美術はそういうことをキレイさっぱり忘れ去り、お文学・お芸術に成り下がっているので、
 野崎ニーナのような人は、さもしいインテリたちに無視されて、「あれは自殺願望少女のおあそびだね」で、片づけられてしまうらしい。
 
 私は最初に、「色白で、なんだか外人みたいな顔」と書いた。
 野崎ニーナもそうだったが、これは順序が逆で、彼女はほんとにハーフだ。
 外人みたい、ではない、むしろ「日本人みたい」と言うべきだろう。
 
 また、これは昔、私がマダム呪々から聞いた話だが、
 彼が昔、芙苑晶、野崎ニーナの二人とやっていた「淫心」というバンドのレコーディングにおいて、
 野崎ニーナはバタイユの「眼球譚」を朗読し、それを素材にマダム呪々と芙苑晶は音楽を作っていったそうだが、
 このエピソードにこそ、彼女のひとつの、生々しい顔が見える気がする。
 つまり、野崎ニーナという女が現実的にどんな女の子なのかということを、かなりリアルに鮮烈に語っているエピソードだという気が、私にはするのだ。
 
 今の日本なら、不良もいるだろう、美少女もいるだろう、頭がいい子もいっぱいいるだろう。
 あるいは、ハーフの子もいるだろうし、ハーフのように見える子や、ハーフみたいな名前の子もいっぱいいるだろう。
 だけど問題は、「バタイユの眼球譚を朗読するのが似合う女の子」がいないことだ。
 今の日本には、そういう女だけは、決定的に欠けてしまっている。
 
 どこかの美大とかに行っていそうな女の子に、「私は似合うわよ」と言いたがるのはいても、

 まあ、100人中、99人は、実際は、ダメだ。

 それはなぜか?
 彼女たちが、淫靡というものを知らないからである。
 稀に、知っているつもりの子がいても、それはたいてい教養として知っているだけであって、
 淫靡な人生を生きてるわけじゃない。それは、今の日本人の若い女の子たちに共通の特徴だ。
 
 片や、安物のロリコン(ロリータ・コンプレックスではない)に、
 梅毒のごとく日夜脳を冒され続けるキモい日本の男たちにはきっと、野崎ニーナの毒性は強すぎるだろう。
 同じエロスというもの、少女性というものを媒介にしていても、つまり、ロリコンアニメとバタイユの小説ぐらいの違いはあるってわけだ。
 
 だが私は、言葉の正しい意味で、野崎ニーナこそは永遠の美少女だと言いたい。
 彼女本人は、いま、いい大人の女って感じの人なのだが、
 年齢だとかそういうこととは無関係に、美少女であり続ける人がいるものだ。
 野崎ニーナは、見る人が見ればわかるように、まさにその代表格なのだ。
 わかる人にはわかるだろうこの世界がわからない男たちが、今のこの国に多いとしたら、
 それは性の不自由よりは、たんなる想像力の貧困というべきであろう。
 
 あなたのクラスにも、いなかっただろうか、野崎ニーナは?
 
(みたま・あけみ フリーライター、ミュージシャン [Ex-裸のニーナ] )  
 

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