野崎ニーナ Nina Nozaki
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野崎ニーナへ捧ぐ(トリビュート・エッセイ集)

 
 

孤独な不良少女の手記としての詩

 四谷英巳
 
 野崎ニーナは、不良少女としての生と、そこから派生する、透明で凄絶な哀しみや、淫靡な感覚とを、真空パックして温存することができた、稀有に幸福な詩人・画家である。
 野崎ニーナの詩と絵画の世界、そこには、かつて詩や絵画が持っていたはずの、
 なまなましい原始の凶暴な熱風が、ありのままに真空パックされている。
 その純真さと鮮烈さは、ともに、彼女が不良少女として生活しているところからきていることがわかる。
 
 彼女の詩も、絵も、いずれも異なったスペクトルを持っており、それぞれに捨てがたい魅力があるわけだが、
 もし、とくに、どちらかを選べといわれたなら、難しいところではあるが、やはり詩人としての野崎ニーナ(絵を描くという行為も含め)が、より非凡であろう。
 そんな野崎ニーナの詩は、すべて、名もない不良少女の手記と読むことが可能である。
 
 以下、私は、便宜上、詩とか詩人といった(おそらく野崎ニーナがあまり好まないであろうような)言葉を使って書いていくつもりだが、

 それはたとえば、谷川俊太郎のような人たちをはじめとする現代詩人たちを、「詩人」と呼ぶ意味での詩人ではない。

(そういう意味でいえば、きっと野崎ニーナは「詩人」の仲間に入れてもらえないし、彼女もそれを望まないはずだ。彼女なら「吐き気がするわ」と言うだろう)。
 そうではなくて、「あの人は詩人だ」といった使い方をされるときの、メタフィジカルとしての詩人、在り方としてのそれを意味しているものを思ってほしい。
 つまり、そういう曖昧なやり方でしか、野崎ニーナの世界は語れないと思うからである。
 
 日記文学と呼ばれるカテゴリーがある。おもに、名もない少年少女が書いた日記や詩を編纂し、本としてまとめたものである。
 当然ながら、たいていの場合は、かれらはそれを文学として書いたのではなく、ただ日々の生の記録として、
 それを書きとめた−−−ときには書き殴った−−−にすぎない。
 だがそれゆえに、しばしば、意識して書かれた文学にはない純粋な凄味と、ハッとさせられるような感性の閃きに接することができる。
 野崎ニーナの詩の世界は、こうした日記文学に通じる、独特な若者の感性と、それゆえの鮮烈な魅力を放っている。
 
 さて、具体的に、私のいう、「日記文学」には、どのようなものがあるであろうか。
 ここでは、私の言わんとすることをあきらかにするために、まずその定義をしておこうと思う。
 日記文学とひとくちに言ってしまえば、かなり範囲が広がってしまい、たとえば、ことと次第によっては、
 こんにちインターネットに殴り書きされるブログ日記のようなものまで含まれてしまうのかもしれない。
 ものは言いようであるが、しかし私はそうした「日記」には興味を抱かないし、また、文学的な価値も見いださない。
 私がここで言うのは、もっと狭義の「日記文学」すなわち、
「(おもに夭逝した)少年少女たちが、死と向き合いながら赤裸々かつ無心に綴った、ピュアな生のドキュメント」としてのそれである。
 たいていの場合、それらの作者たる少年少女は、しばしば夭逝しており、すでにこの世の人ではない。
 したがって、それらはしばしば、かれらの死の直前に書かれたものである。
 
 諸外国では、たとえばアメリカだが、アリス・D(匿名である)による「十五才の遺書」が有名であろう。
 大学教授の娘で、優等生だったアリスが麻薬に耽溺してゆく日々を綴った日記(状況から見て、おそらく1970年前後とおぼしい)を編纂した作品で、
 私個人的には、野崎ニーナはこの主人公アリスと最も重なって見える。
 といってそれは、具体的な部分ではなく、アリスの鮮烈な感性と、冒険性、そして純真さにおいて重なり合うものがあるという意味だ。
 
 また、わが国にもその系譜はあきらかにあり、こちらは少年であるが、岡真史の書いた『ぼくは十二才』が最も有名かもしれない。
 また、世代を遡れば、全共闘時代の青春を生きて死んだ高野悦子の『二十才の原点』、さらに古くは原口統三『二十才のエチュード』があるし、
 あるいはまた、ややニュアンスは異なるが、何年か前に映画化までされた山田かまちなども、このカテゴリーに入るだろう。
 「夭逝」年代をさらに広げ、二十代後半から三十代前半あたりまでに拡大設定してみると、たとえば廣津里香(広津里香)の一連の日記や詩がある。
 これも、かまちのような俗受けはしないものの、それゆえに独特の崇高さ・鮮烈さをもった作品群であり、文芸作品としても興味深いものだ。
 

 例をあげるのはこのへんにして、いま仮に、こういった一連の作品群を、わかりやすく日記文学を呼ぶとして、

 私は調べたわけではないが、しかし、野崎ニーナの読者層というのは、おそらくそういった、日記文学の愛読者と重なる部分がかなりあるのではないか。
 すくなくとも、その描かれる世界の鮮烈さ・純真さ・透明さ・残酷なリアルさといった感性のベクトルにおいて、かなり共通するものがあると私には思えるのだ。
 
 しかしまた、そう言う一方で、野崎ニーナが、これら日記文学の作者たちと決定的に異なっているのは、
 彼女が夭逝しなかったこと、そして、詩として、文学として充分に読むに耐えるものであること、この二点である。
 (文芸的にすぐれているという点で、上記のうちでは例外的に廣津里香が挙げられるものの、しかし廣津の悲壮なばかりの、
  不良になりきれない中途半端な優等生ぶりは、野崎ニーナのいさぎよい奔放さにはあまりに遠く、本質的に趣を異にするものである)
 
 ここで私が興味深いのは、野崎ニーナの詩的出発が、ランボオでもボオドレエルでも、ましてや中也でも朔太郎でもなしに、アンリ・ミショーにあったことである。

 当時まだ、高校生だった彼女は、最初、小説だけが好きで、詩になどほとんど興味を持っていなかった。

 ましてや、詩人になろうなどとは、考えたこともなかったらしい。
 当時、彼女は、精神分裂病に関心を抱き、街の図書館で、精神分裂症に関するさまざまな文献を読み漁るうち、
 ウニカ・チュルンの『ジャスミンおとこ』に辿り着き、そこから、チュルンの理解者だった孤高の詩人・ミショーに憧れ、ミショーの詩を求めた。
 
 だが、それは、ミショーの読者の多くがおそらくそうであるような求め方とは違っていたのではないかと私は思う。
 エッセイの断片にもあるように、野崎ニーナは高校時代、青土社の、アンリ・ミショー全集全三巻のうちの、第三巻目だけを古本屋で買い求めている。
 この、旧版のアンリ・ミショー全集の第三巻といえば、私も持っているが、ミショーの悪名高きメスカリン体験の記録を綴った作品群がおさめられた巻である。
 このことからも推理されるように、十代の野崎ニーナは、ミショーの世界に、現実逃避と、幻覚世界への彷徨、狂気や死と戯れることを見出したのではなかっただろうか。
 
 事実、野崎ニーナがのちに、ヨーロッパにわたり、放浪生活をした時期、その途上で、彼女はギリシャで、LSDやメスカリンを試す機会にめぐまれ、
 そのときの凄絶な知覚変容の体験がモティーフとなって、彼女の最初の詩集『メスカリンもしくは光の伽藍』が誕生している。
 これを読んでみるとわかることは、おなじメスカリンやLSDといった、サイケデリック・ドラッグスによるアルタード・ステイツ体験を媒介としながらも、
 野崎ニーナのアプローチは、ミショーの科学者的なそれとは、あきらかに異なっていることだ。
 彼女にとってのメスカリンやLSDは、この現実社会への嫌悪感を決定づけるものであり、またそれと裏返しに、
 そこから逃避し、幼年期の幻想的な神々しさをヴィジョン化して見せてくれる、一種の妖精であったにちがいない。
 
 この、小さな私家版の、わずか50部刷りの詩集が発表された当時、一部に、「日本の女・アンリ・ミショー」といった批評があったというが、
 しかし私がいま読むかぎり、野崎ニーナはすでにミショーの影響から自立し、彼女独特のスタイルを作り、彼女自身の言葉で語っている。
 (むしろ、メスカリンやLSDによる知覚変容の世界を芸術表現に転換した日本の芸術家としては、野崎ニーナよりは、彼女の旧友でもある、
 シンセサイザー音楽家・芙苑晶がそれに近いスタイルを持っていることを指摘しておきたい。
 しかも興味深いことに、芙苑晶は野崎ニーナのこの最初の詩集を買った一人であり、彼女を媒介してミショーを知り、
 のちにニーナがミショーからあっさり離れてゆくのとは対照的に、彼はミショー的な方法論を追求することで、その初期のスタイルを確立していった。
 とくに『燐光』や『荒廃』といった初期のアルバムにおいて、ミショーのやったようなことを電子音楽で再現しようと試みているのは、注目に値する)
 
 こうした体験が、野崎ニーナの詩人・画家としての出発となったが、彼女は早くも幻覚剤の世界に飽き、卒業してしまい、
 むしろより感性を研ぎ澄ませながら、リアルの中で「死」と向き合う青春を生き始め、それをそのまま、ありのままに、
 詩や絵画というかたちに焼き付けていく。
 
 二十代で死ぬつもりだったと公言している野崎ニーナは、とうぜんそのつもりで詩を書きつづっていたが、とくに、二冊目の詩集『裸のニーナ』において、
 死の匂いは濃厚になり、それと表裏一体に、彼女の生への感覚は、異常な鋭さと清純さをみせる。
 
 だが、彼女は、死ななかった。つづく三作目にあたる『灰と太陽の共和国』においては、彼女は青春期の終わりと、大人の女への変身をみせ、
 死ななかった自分を自嘲的に語り始める。
 
 そんな野崎ニーナは、己の詩にいっさいのエクスキューズをせず、文壇を嫌いだと公言し、自分が詩人だと思ったこともないとまでいう。
 そういったことも含め、野崎ニーナの世界を鳥瞰するとき、私が思い出すのは、あのモノマニアックな少女たちの世界を描く画家・バルテュスである。
 私は、野崎ニーナが、好きな画家のひとりにバルテュスを挙げていることを、あとで知って驚いたわけだが、しかしこれをただの偶然とするわけにはゆかない。
 
 野崎ニーナが綴った、名もない不良少女の手記にも似た詩や絵画の数々は、バルテュスが描く、密室における少女たちの危険な遊戯の世界にみられる、
 「純真無垢なものたちだけがもつ、淫靡な美しさ」において、見事に照合し合っている。
 さらには、純粋な凶暴さ、原始的な鮮烈さといったもの、それでいて奇妙におだやかで純真な、時が止まったような死に似た静けさ、
 そこから派生する、ある種の荘厳さ、清廉な気高さのようなもの、そういった共通点を見出すことも可能であろう。
 
 彼女は、この世の偽善や大人の醜さを、さらには、この世界のなりたち自体が嘘であることを本能的に見抜き、
 話し言葉でそれを見事に告発してみせる。
 だが、告発といっても、それは結果であって、そこには、社会派の小説家が描き出す世界のような、中産階級風のいやったらしさなどはみじんもない。
 彼女は、少女らしいすばしっこさで、「この世」を突き抜けてしまい、読者が一遍の詩を読み終える頃には、もう死んでしまっているのである。
 トロい読者が、「まてよ、これは」と首をひねっているあいだに、いつのまにか読者の前には、野崎ニーナの白いなきがらが横たわっている。
 その息をのむ速さ、そこに私は、野崎ニーナの永遠な少女性をつねに見るのである。
 
 たしかに、しばしば言われるように、野崎ニーナの詩には、純真さと表裏一体の残酷さがあるといえばあるであろう。
 だがその残酷さとは、少女の残酷さにほかならない。それは、あっけらかんと明るく、乾いていて、よく読めば、かすかにものがなしい。
 それが証拠に、どの作品にも、一種の童話めく世界がある。
 それはつまり、飛び降り自殺をする少年を美化した「星の王子さま」等にみられる、童話からのパロディという意味においてではない。
 それらに限らず、どの詩にも、失われた幼年期(あるいは少女期)の探究といったものが感じられるのである。
 
 だから、野崎ニーナの詩が、投げやりであればあるほど、この世界に吐きかける呪詛の言葉が熾烈であればあるほどに、読者は、
 ただのよくある感傷的な少女詩にはない、崇高な孤独を感じることができるのだ。
 そこに、一種の、透明で凄絶な哀しみといったものが生まれてくる。
 いわばそれは、正直に生きたものだけが具現することのできる、稀有なユートピアの誕生である。
 彼は彼女は、この世界にあってはもはや用無しとされるが、しかしそれゆえに、裏返しのユートピアにおける、絶対君主たりえたのだ。
 これこそが私のいう、野崎ニーナが「不良少女としての生を真空パックして温存することができた、稀有に幸福な詩人」という意味に他ならない。
 
 しかしながら、たとえば現代詩のようなものを詩のスタンダードと考えるとき、もしいま、詩人の卵たる少年少女が、社会的に認知されようと思うと、
 ある年齢を待って、すなわちある程度薹の立つのを待ってから、ようやっと己の詩業をスタートせねばならないということになる。
 知性や理論やスタイルばかりが重んじられるそうした「モダン・アート」としての詩の世界にあっては、
 十六で最高傑作を書いたランボオのような、ほとばしる感性の閃きを受け入れる土壌は、あまりに痩せているからだ。
 かといって、仮にその歳月に耐えたところで、「詩人」としてようやく仕事を始める頃には、
 もう、詩の源泉であり故郷たる、少年少女の感性は失われてしまっている。
 それもそのはずではないか。おそらくは、学校の教師をしながら、アルバイトをしながら、主婦や子育てにかまけながら、
 今さらどんな詩が書けるだろうか。いや、詩の形をしたものが書けたところで、それはおそらくはつくりものの、まがいものの、
 捏造された少年少女時代の拡大再生産にすぎないのであり、作者がかつて望んだあのきらめきには遠い。
 
 そのような現代では、詩人というひとびとも、ほかのジャンルの芸術家同様、見事に去勢されてしまっている。
 ありていに言ってしまえば、このような時代にあって、いまやぬけぬけと「詩人」を自称することじたい、詩的感性の枯渇したエスタブリッシュメントたる己を自ら認めることである、
 そう言っても恐らく、言いすぎではない。
 
 このように品下った悲惨な時代にあって、野崎ニーナが稀有にほんものの詩人たり得ているのは、
 彼女が詩や絵画の制作それ自体を自己目的化した作家ではない点にあると私は思う。
 冒頭にも述べたように、野崎ニーナの詩の世界のもうひとつの特徴は、彼女が不良少女としての生を生きていることが、妙に生々しく伝わってくることであろうが、
 彼女にとっての詩や絵画は、そうした世界を表すための、ただの「手段」にすぎないのではないかと思えるふしが多々あるのだ。
 すくなくとも彼女はおそらく、芸術院会員が信じるような「芸術」など、毛ほども信じてはいないだろう。
 
 それとおそらく並行関係にあると思えることで、私に興味深いのは、
 彼女の詩には、ある種の誇張が感じられることだ。彼女自身その詩の中で、自分を「うそつきな女の子」だと悪びれもせずに言う。
 だが、にもかかわらず、野崎ニーナの詩は、日々の「事実」を報道するニュースよりも、はるかに深く真実をうたいあげている。
 事実とはずれた真実を、しばしばある種の抽象化された誇張をともなって描くのが文学だとすれば、野崎ニーナの詩は、最も文学らしい文学である。
 
 野崎ニーナの詩(とくに、読者にいまも人気を誇る、初期の「少女詩」と呼べるような一群の作)を読めばわかるように、
 それらはすべて、孤独な不良少女の遺書として書かれ、またそのように読むことが可能なものたちである。
 
 このようなタイプの詩人が、ある年齢に達したとき、詩を書くのをやめ、詩との訣別をするのは、むしろ当然のことかもしれない。
 野崎ニーナの詩は、読めばわかるように、書こうと思って書けるタイプの詩ではない。また、彼女自身が言うように、
 「しかたなく生まれてきた詩」であり、「詩というよりは落書き」みたいなもの、なのである。
 
 1997年、四冊目にあたる、最後の詩集『盲いた蝶たちの歌』を最後に、野崎ニーナは、詩を発表するのをやめてしまう。
 当時のエッセイの中で、彼女は、次のように語っている。
「私は、書きたいことはもう全部書いてしまった。これからは、書くことよりも、私は生きることを選びたいと思う」

「そう言いながら、アフリカへ行ったランボオのようにカッコよく去れたらいいと思ったけれど、私は最近、ある小さな会社に就職した。

 そして、もう若くはない私は、より静かな生活を望み、それで私なりに、満足しようとしている」

 

 こうして、文壇も画壇も相手にせず、むしろそれ以外の場所で、勝手にいろいろ自己流に表現をしてきた

(彼女は、ロックやテクノ・アーティストと交流し、「レイヴ」などにも関係するなかで詩を書き、絵を描いた)彼女は、いまや、ある種の人々のカリスマ的崇拝の対象になっているのだ。
 
 それは(このへんがインテリたちが勘違いしそうな点だが)、彼女が「すぐれた芸術家」だからではない。

 それはむしろ、彼女が、(三珠アケミの言い方を真似ていうなら)「稀有な、淫靡を生きる不良少女」としてすぐれていたからであり、

 その不良少女が、淫靡を生きた結果、ああいった詩や絵が生み出されたという、そのあたりが、若者たちの共感を呼んでいるわけなのだ。順序は逆なのである。
 すなわち、野崎ニーナが凄いのは、彼女自身が淫靡な人生を生き、しかもとてもその淫靡ぐあいが本気であって、 
 詩や絵画は、その結果にすぎないという、このへんの「ほんもの」具合である。
 
 この点で、彼女こそ稀有な真の芸術家というべきで、むしろ、詩壇・文壇・画壇は、せいぜい野崎ニーナの爪の垢でも煎じて飲むがいいのだが、
 もとより建前と保身に日々汲々とするかれら年寄りたちには、そんなことはおよそ期待できそうにないし、また、するべきでもない。
 
 そして野崎ニーナの崇高な孤独は、そんな外界のくだらぬこととはおよそ無関係に、
 そのめずらしい価値がわかるこころある人々(おもに若者たち)に、いまもたえず惜しみなき賞賛を浴び続けている。
 だからこそ、野崎ニーナの詩はすべて、孤独な不良少女の手記として読むことが可能であり、それゆえの、稀有な原石の輝きを放っているのである。
 
 
(よつやひでみ 美学美術史)  
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