野崎ニーナ Nina Nozaki
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野崎ニーナへ捧ぐ(トリビュート・エッセイ集)

 
 

彼女について知っている二、三の事柄

 マダム呪々
 
 
 ぼくはその頃、クラシックからドロップアウトしつつあった芙苑晶と、サイケデリック・バンドをやっていた頃、
 だからまだ十代半ばの少年であったが、
 その頃ぼくらは、バンド名をどうしようというので日々、悩んでいて、モメていた。
 
 そんなある日芙苑晶が、ミーティングのとき、一冊の詩集を持ってきた。
 表紙に「野崎ニーナ 詩集  裸のニーナ」と印刷されていた。
 表紙には、ほんとにハーフみたいな感じの裸の美少女が、荒いモノクロ写真で、シルエットになっていたので顔はよくわからないが、写っていて、
 いかにも私家版の詩集くさい、なんだか貧相な(でもそれだけにサイケにカッコイイ)その表紙に、ぼくはヤラレた。
 ぼくはその日のことを、まるで昨日のことのようによく覚えている。
 
 芙苑晶が言うには、この女の子は、誰も知らないが、天才詩人なんだ、という。
 しかも、フランスと日本のハーフで、絵も描くし、絵のモデルなんかもやってるんだ、という。
 芙苑晶はすでに彼女の熱心なファンになっていて、その前に野崎ニーナという女の子が出した詩集も持っていた。
 それは、題名は忘れたが、メスカリンなんとかいう題名の詩集で(編注:『メスカリンもしくは光の伽藍』)、
 その野崎ニーナという少女が、ヒッピーに憧れてヨーロッパへ行き、メスカリンを吸って、その体験を描いた詩集なのだということだった。
 
 ぼくはもう、ビックリの5億倍ぐらいビックリして、そんな子が日本にもいたのか、とまず仰天し、
 つぎに、なんとなく尾骨のへんからゾクゾクっときてしまい、
 まず、そんなカッコイイ女の子と交流のある芙苑晶が羨ましいと思った。
 いったい芙苑晶は、昔から、そういう凄い連中と知り合う天与の才があるらしかったが、ぼくはぼくとて、
 いつものポーカーフェイスをすっかり忘れ、「その子に会わせてほしい」と、身も世もないように芙苑晶に言ったのだった。
 
 芙苑晶はそれに対してなんと言ったか忘れたが、とにかく彼は、バンド名を、その野崎ニーナの第二作目の詩集のタイトルをそのまま流用して、
 「裸のニーナ」にしたらいいんじゃないか、という提案をしに来たのだった。
 もちろん、著者にはすでに了解を得ているということで、
 それは絶対カッコイイ、カッコよすぎる、というので、結構気むずかし屋が揃ったバンドにしては奇跡的に珍しく、
 もう一瞬で、全員可決でそのバンド名に決まってしまったのであった。
 
 しかもすばらしいことには、この「裸のニーナ」というバンドでは、その野崎ニーナの詩集や、あるいは彼女が書き下ろした詩に、
 芙苑晶が作曲するというパターンで、オリジナル曲を書こうということになった。
 このバンド名といい、スタイルといい、ぼくら五人が当時憧れていた、60-70年代のサイケ・ロック・バンド
 (グレイトフル・デッドとか、ジェファーソン・エアプレインとか、まあそんなやつ)の雰囲気にピッタリであった。
 
 ただ、時代が悪くて(まだ1980年代の半ばだった)、このバンドは当時は全然ウケなかった。
 ぼくらはむしろ、進んでいるつもりでやっていたのだが、みんな「これは時代をまちがってる」などと、口々に言っていた。
 で、ぼくらは当時、曲をレコーディングし、『アスファルトのうえに死んだ鳩が一羽』というアルバムをカセットでリリースし、
 インディーズ・バンドとしては、一部に破格の芸術的評価も得たのだが、なにしろ時代が悪くて(と、人のせいにしておこう)、
 ぜんぜん売れなかった。
 
 話を元に戻して、
 野崎ニーナは、バンドのミーティングや公演には、なかなか現れなかった。
 ぼくはほんとはその「野崎ニーナ」なる少女を一目見たくてしょうがなかった。
 現れないだけに、想像だけはたくましくいやがうえにも膨らんで、勝手に肥大していくのであった。
 
 そしてとうとう、ある日、ひょんなことからぼくらのライブ(京大西部講堂で、非常階段とかが出ていた頃だ)を見に来た野崎ニーナは、
 第一部と第二部の間でぼくらに初対面の挨拶をし、あんまり想像以上の美女だったのでぼくはアガってしまい、どもり、
 そして第二部のラストでは突然何を思ったか、野崎ニーナは舞台に上がり、バンドの曲に合わせて勝手に踊り始め、
 バンドのテンションに合わせてストリップを始め、最後はとうとう裸になってしまった。
 そう、野崎ニーナは、文字通り、「裸のニーナ」になったのである。
 

 異常に興奮した客たちがステージに上がってきて一緒に踊ったのも、その夜の鮮烈な記憶で、

 今ではこの話は、ファンの間で伝説的なエピソードになっている。
 が、当時まだ、純情な高校生の少年だったぼくのその時の気持ちは、とても言葉では言い表せるものではない。
 
 さらにそのあと、ぼくは、「裸のニーナ」と並行して、「淫心」バンドを昔やって(今もいちおうやっている)、
 こっちはもっと何て言うか、実験的なプロジェクトだったが、これに野崎ニーナが参加することになったのだった。
 といっても、
 彼女は詩人であり、画家でもあり、音楽家ではない。
 僕と芙苑晶は音楽が専門だが、彼女はちがう。
 だが僕も芙苑晶も、もう音楽家はいらないと言っていたので、音楽じゃないほうのアーティストがよかったのだ。
 そういう我々のニーズに、野崎ニーナはぴったりだった。
 
 スタジオに来たとき、僕らが彼女にしてもらったのは、バタイユの「眼球譚」を読んでもらうことだった。
 あんなものを朗読して、それがサマになる女の子など、
 (いたらいいなとは思っていたけど)ぼくはついぞお目にかかったことがなかったし、諦めていたのだ。
 野崎ニーナは、その唯一の、おそらく最初で最後の例外となった。
 
 それはきっと、野崎ニーナが、「優等生に見えて極悪の不良少女」だったからだ。
 ぼくは彼女とはプライベートなつき合いはなく、そのことはあとで彼女の詩を読んで知ったのだが、
 実際にニーナはそういう女だったらしい。
 
 (ついでだが、ぼくは、「詩人」なんかだいたい嫌いである。
  その前に「現代」とか「前衛」なんかがついたりすると、もう全身鳥肌で、帰りたくなる。
  ニーナは信じてない、詩人も詩壇も画壇も大嫌いと公言し、根っからそういうものを信じてない女だから、いいのであろう)
 
 だいたい、ミもフタもないことを言えば、「野崎ニーナ」この名前(本名だ)だけでもう、120点で、ノックアウトされてしまう。
 最初見たときぼくは、根がミーハーでスケベだからだろうか(たぶんそうだろう)、
 昭和四十年代の「お色気路線の歌謡曲」の歌手(Ex. 「小川ローザ」)とか、
 同じく昭和四〇年代系の、米軍基地で生まれたハーフのファッションモデルとか、
 なんかそういうひとクセある女の子を連想してしまったが、
 野崎ニーナはルックスも結構それ系で、イケていた。いや、もっとよかった。
 
 ハーフの女の子と言えば、
 昔、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットというバンドで、ダンサーをやっていた、
 田嶋エリサという女の子がいて、惜しくも若死にしてしまったが、
 偶然ではあるが彼女もフランスと日本のハーフで、しかもダンスの天才であり、
 この子も凄い強烈なキャラクターで、ある種のカリスマで、カルト的なファンがついていた。
 
 でも、田嶋エリサなんかはまだ(ぼくとおなじ魚座で、しかも誕生日が近かったせいもあるかもしれないが)、
 それなりに分かる気がして、「アリ」だと思ったが、
 野崎ニーナは、「こんなのナシ」って感じである。
 つまり、繰り言になるが、「こんな人がほんとにいたのか」であり、
 「嘘だろ」「できすぎだ」みたいな感じなのだ。
 
 これだけ書き連ねても、まだ何か言い足りない気がするのは、
 野崎ニーナが、いまや稀有な、ほんとに女の神秘を生きている女で、
 しょせん妄想過剰のオナニストの域を出ないぼくには、彼女の表層にある鮮烈なイメージばかりに目がいき、
 野崎ニーナがほんとに何を考えてるかは、結局、一生わからないような気がするからであろう。  
 
 
(まだむ・じゅじゅ ミュージシャン)  

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